第4章 雪上の氷壁 【上杉謙信】
結局考えがまとまらないまま与えた部屋へと戻っていく茅乃を見送った後……
やり取りを黙って見ていた幸村が口を開いた。
「──信玄様はどう思います?」
「んー…そうだなぁ…ずっと瞳孔の動きを観察していたが嘘をついてるようには見えなかった。
それに、よからぬ企みがあるならあの妙な命令をわざわざ俺等に吐露するはずないからな。もし俺が同じ立場だったら、深読みされるのを恐れて黙ってる」
「…確かに。
まったく、嫁を置き去りにして逃亡するとか最低な奴だよな。しかもあんな弱っちぃ女を」
「ああ。……見たか?彼女の腕。びっくりしたよ俺は」
「ガリガリでしたもんね。あれじゃまるで骨と皮しかないよーなもんだ。何食って生きてんだよ……」
すると、佐助が眼鏡の金具を指で押し上げながらぽつりと呟く。
「それに彼女…たぶん人から何かを指示されないと行動できない気質なのではと思います。だから自由に振る舞う術すら知らない」
「それは俺も見て感じていた。一国の主の正室でありながら、随分と窮屈な生活を強いられていたのだろうか。
さすがの謙信もあんな痛々しい姿の子を牢にぶち込む気にはなれないか……」
ちらりと一瞬こちらを窺った信玄はそう言うと湯呑の茶を静かに啜り、佐助や幸村と話を交わし続けている。
三人の会話を聞きながら茅乃の様子を思い返してみれば、いくつか感じた違和感には全て何らかの理由があるのだろうと悟った。
艶っ気のない髪、乾燥した肌。
たくし上げた袖から露出していた二本の白い腕は、幸村の言う通り骨皮しかないと思えるほど痩せ細っていた。
そしてあの無機質な瞳。
凍てついたような、闇深い漆黒───
戦いの狭間であの瞳と相対した時。
刀を向ける気にもならず城へと連れ帰り、罰すら与えずこうして優遇しているのは、同情か、それとも哀れみか……
自分でもよく解らなかった。