第4章 雪上の氷壁 【上杉謙信】
「──物音をたててしまって申し訳ありません。以後気をつけます」
戸を開いた時には、女はもうすでに平伏していた。
俯いたまま上体を起こすと、手元に置いていた雑巾を取って通路の床板を拭き始める。
頭巾を被り、襷掛けで粗末な着物の袖をたくし上げた姿はまるで女中さながら───。
「…何をしている」
傍に立ち、そう問うと。
女は手の動きを止めて体ごと俺の方を向き、姿勢を正して座礼した。
「掃除をしております」
「何故に」
「私は人質という身でありながら城内での寝食を許して頂いています。
ですので、せめて穀潰しになるのは避けねばならない…と」
「余計な気遣いは結構だ」
「───申し訳ありません」
再び、指をついて深々と平伏すると。
掃除道具を片付け立ち去ろうとしたようだが、腰を上げた際によろりと体勢を崩した。
俺が咄嗟に手を差し伸べた瞬間───
「……っ!」
びくっと肩をすくませた女は己の身を庇うように身体を小さく丸め、全身を小刻みに震わせている。
……なんだ?
罵声を浴びせた訳でもなし、ましてや刀を向けた訳でもないというのにこの怯えよう。
異様な様子に、その場にいる一同が違和感を抱いていると……
ハッと何かに気が付いたらしく、起き上がり無言で一礼した後、何事もなかったかのように踵を返した。が……
「待ちなさい」
信玄の低い声音に反応した女は、歩みを止めて振り返る。
やや俯いてはいるが、顔を強張らせているのが分かる。
「私…気に障るような態度を取ってしまいましたね。申し訳ありま…」
「そうじゃない。君と話がしたいんだ」
「…話…ですか」
「ああ。
大丈夫、危害を加えるつもりはない。
肩の力を抜いて、茶の湯がてら話そうじゃないか。
───おいで」