第4章 雪上の氷壁 【上杉謙信】
「当然だろう。お前の命など単なる捨て駒と同じだ」
「…っ、」
「お前の取り柄といえば容姿くらいだが…まさか女嫌いで有名な彼奴がほだされるとはなぁ。軍神の名も地に落ちたものよ」
「上杉様を愚弄するのはやめて!あの方は志高く優しい人なんです。貴方と違って」
「…ほう。言うようになったな。
まあいい。お前にはまた捨て駒になってもらう。その為にわざわざ攫ったのだから」
「え…」
「逃亡資金を掻き集める間、夫婦として共に行動していれば見知らぬ土地でも怪しまれない。
役目が終われば解放してやる。女なら身体でも売って暮らしていけるだろう」
「なっ…、そんな事をよくも…!
それに逃亡って…戦いの最中でしょう?家臣達を見捨てるおつもりですか?」
「仕方の無い事だ。討ち入りは失敗した、敗北はもはや避けられん。ここから逃れて再起を図る」
「…哀れな人」
「今なんと?」
「何度挑もうとあの方には絶対敵わない。あの方とは格が違う。それが分からないなんて本当に哀れな人です、貴方は」
その瞬間───
寒空の下、乾いた音が響き…
頬に衝撃を受けた勢いで茅乃は地面に倒れた。
「いつからこの儂にそんな生意気な口が利けるようになった?
お前は今まで通り大人しく命令に従っていればいい。二度と反抗できぬよう仕置きが必要だな」
髪を掴み上げながら身体を起こされた茅乃の顔面めがけて男が拳を振り上げた時────
その肩口に、どこからか放たれた脇差が突き刺さった。
男の耳に聞こえるのは、己の悲鳴…
そして、雪を踏みしめこちらへ近づいてくる足音。
ちらり、ちらりと舞い散る粉雪。
その向こう側から垣間見える双眼は、雪影に光る───
「上杉…様…!!」
茅乃の視線の先には、刀身が抜けた脇差の鞘を腰に下げてこちらに歩み寄る謙信の姿があった。