第4章 雪上の氷壁 【上杉謙信】
「でも…殺されるどころか、生きる希望を与えられました」
顔を上げ、こちらへ視線を寄越す。
「畏れ多いほどのお心遣い、そしてひとりの人間として接して頂き、私は生きていてもいいのだと思わせてくれた。
それもこれも、武田様や真田様、猿飛様、城に従事する方々、そして…上杉様。貴方のおかげです」
器を盆の上へ戻し、俺の手に自分のそれを重ねると、「冷えてらっしゃいますね」と呟きそっと両手で包み込んだ。
「…今宵は兎共の護衛は無いぞ。怖くないのか」
「はい…。何故でしょうね、男性に触れるのを恐れていたはずなのに…不思議と貴方の手は怖くなくなりました」
揺れる睫毛の奥にある瞳には、かつての凍てついた氷が溶けて春の日差しに照らされたような、温かな光が宿っていた。
華奢な掌から伝わるぬくもり、仄かに鼻を掠める花の香り…
俺自身も茅乃が言うように、不思議な心地がする。
「…っ、あ…
ごめんなさい!馴れ馴れしく…。酔い過ぎましたね、私」
途端にかあっと顔を赤らめて手を離した茅乃は、目を泳がせつつも辿々しく話を続けた。
「…と…とにかく、私はとても感謝しているのです。
ですので今後は恩返しとしてこちらで奉公させて頂きながら身の振り方を模索しようと考えております」
「…いずれ出てゆく気か」
「はい…。一生お世話になる訳にもいきませんし、自分の居場所を探しに行くつもりです。上杉様が以前仰っていた自由を求めて」
なにもかも吹っ切れて希望に満ち溢れた、穏やかな微笑み───。
ちくりと刺す胸の痛みを紛らわすかのように手に残ったぬくもりの余韻を握り締め、茅乃の幸せを願ったそんな夜は深々と更けてゆき…
城の者達が寝静まった頃。
響き渡った、静寂を切り裂く報せ────
「闇討ちだ!闇討ちだーーー!!」