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紅茶とひまわりのクランケ【銀英伝】

第2章 アールグレイは彼女を誘う


「ブランデー入り?」
「そうそう、なかなかオーダーこないメニューだけど、美味しいよ。なかなかあの学生さんも目敏いな。
ミアちゃん、いつものやつ飲んでく?」
「え…」

ミアは少し躊躇した。マスターはいつも彼女の仕事の愚痴を聞いてくれる。最初は哀れみから彼女の話を聞き始めたが、最近は満更でもないらしく、寧ろ彼女に何か話すようせがむようになった。彼女も喜んで会話を弾ませた。

しかし、この日は少しばかり事情が異なった。カウンターの端に座る男の存在である。
彼は、先程から雑音を出している2人に目もくれず、歴史書を丹念に読んでいる。これ以上うるさくすると、自分の声が彼の脳内の学術的世界を叩き潰してしまうのではないか、と思うと、彼女は素直にマスターの勧めに乗れないのであった。

だが、顔も見ていない赤の他人に対しての配慮にしては、いささか丁寧過ぎではないか?…そんな考えも浮かんできた。普段の仕事と比較すれば塵にも満たない命題の結論を出すのに時間をかけすぎであることにも気づかずに、とうとう混乱してくると、

「あぁ、すみません…ついつい、長居してしまいました。ごちそうさまでした」

柔らかく穏やかな声が店内に響いた。
ミアは声の主の方へと向いた。

男は困ったように眉を下げ、口元を僅かに緩めていた。彼女と同様アジア系の顔つきで、まつ毛の長い二重の黒目は、その男の人柄を表しているかのようであった。
ミアは彼の顔をまじまじと見ながら、「トリューニヒトとは大違いだな」なんて陳腐な感想を抱いた。彼は、トリューニヒトの写真を見た時に感じた恐怖に打ち震えた心を、シルクの布で包み込むような雰囲気を醸し出していた。

一方の彼はというと、そんな彼女には目もくれずに、せっせと帰る用意をして、代金を支払ってどたばたと店を出ていってしまった。
話しかける隙はなかった。

「さ、ミアちゃん、何飲む?いつものやつ?」
ミアはメニューを手に取り、暫く黙った。
「いや…今日はブランデー入れてください」

マスターはいつもと違う彼女の纏う空気を察し、何も話しかけずに淡々と閉店準備をしていた。
ミアはマスターの心遣いに甘え、ルイ・アームストロングの旋律に静かに耳を傾けながら、普段とは違う紅茶の味に酔いしれていた。
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