【BANANAFISH】Lullaby【アッシュ】
第10章 Shorter
一秒と経たないうちだった。
「・・・っ!」
普段は機敏とは程遠い動きのリサが、俺の側から飛び退くように起き上がった。
そしてまた、震え始めた。
今度は寒さのせいなんかじゃなかった。
リサの瞳にはハッキリと恐怖と絶望の色が浮かんでいた。
「リサ」
驚いて俺が素早く身体を起こすと、やっとリサの瞳が普段の蜂蜜色に戻った。
だが震えはまだ止まっていない。
「あ・・・アッシュ・・・・・・」
認識されてホッとすると同時に、俺は自分の胸をえぐられたような痛みを感じていた。
さっきの眼差しを、向けられてしまったことに。
この眼は、俺が俺をレイプしていた奴らに向けていたものと同じだ。
憎悪する余裕もなくめちゃくちゃに踏みにじられた後に残った、恐怖と、絶望を宿しただけの眼。
「悪かった・・・」
俺はやっとのことでそう呟いた。
「怖いに・・・決まってるよな。お前の体温はとっくに戻ってたのに、ずっと隣にいたせいで」
「ちがうの」
リサが俺の言葉を遮った。
「ちがうの・・・ごめんなさい、アッシュ・・・」
それから数秒黙った後に、リサは蚊の鳴くような声を絞り出した。
「・・・・・・ずっと、幸せな夢を見ていたの。アッシュと、スキップと、海岸に行く夢。わたし、一度も海岸なんて行ったことないのに・・・変だよね。それでね、砂浜で綺麗な石を探すの・・・アッシュの瞳の色みたいな、透き通るようなグリーンの・・・」
そう言って、リサがふっと優しく笑った。
「どっちがよりアッシュの瞳に似たのを見つけられるか、スキップと砂だらけになりながら勝負して、アッシュは呆れたように、ずっとわたし達を見てた」
50センチほどの距離が開いた俺とリサの間に、やっと静かな空気が流れ始めた。