【BANANAFISH】Lullaby【アッシュ】
第9章 ふたつの心
パタン、と静かに扉が閉まって、わたしは窓側のベッドの上で身を起こした。
「アッシュ!おかえりなさい。早かったね」
初めてやって来た場所で“おかえりなさい”と言うのもおかしな話だけど、他に何と言えばいいのか分からなかった。
これまでのパターンから言ってもっと夜更けに帰ってくる気がしていたのに、予想に反してアッシュは出て行ってから15分ほどで戻ってきたのだった。
「ああ、ちょっと電話して来ただけだ」
アッシュは着ていた上着をドサ、と扉側のベッドの上に放り投げて、そのすぐ側に寝転がった。
わたしの目線より低い位置で、アッシュの少し長めの前髪が、シーツの上にサラサラと流れた。
スマホを眺めるアッシュの少し物憂げな表情に、とくん、と、心臓が小さく音を立てたのは気のせいだろうか。
アッシュにまでそれが聞こえてしまった気がして、わたしは出来るだけさりげなく左胸の上に手を置いた。
身体を起こしたままのわたしが気になったのか、アッシュの瞳がこちらを見る。
「眠れないのか?あいつら三人のことなら心配しなくていい」
わたしは慌てて勢いよく首を横に振った。
「ううん、皆さんとてもいい人で・・・。それもこれもアッシュのおかげだよ。アッシュが皆に信頼されているから、見ず知らずのわたしのことも追い出さずにいてくれる・・・本当にありがとう」
そう言うと、アッシュはくるりとこちらに背を向けてしまった。
「俺は別に」
スマホをいじりながら、ぶっきらぼうな返事が返ってくる。
こんな時のアッシュは少し照れている、という事をわたしはこの数週間で学んでいた。
さっきの胸の鼓動とは違う、何となくムズムズとするような、温かい気持ちで心が満たされる。
この不思議な感覚は一体なんだろう。
味わったことの無いその感覚は、眠りに落ちるまで、わたしの中でいつまでもゆらゆらと揺れていた。
ベッドの上で座ったまま壁にもたれて眠ってしまったはずなのに、目が覚めたとき、わたしはきちんと布団の中にいた。
こんなことはもう何回目になるだろうか。
もちろん、誰がこんな風にしてくれているのかは分かっている。
望まない誰かの腕の中じゃなく、温かい毛布の中で目覚めることはとても幸せなことだと思う。
それなのにわたしの耳には、この上なく悲痛なうめき声が聴こえていた。