第4章 熱・気
ヒュー……。
湯気が薄く立ちのぼる。
「ほら、食うぞ」
何もなかったかのように[元カノの名前]の腕を振りほどき、ヤカンを持って居間へ。
はふ、はふ、はふ。
一心不乱に麺を食べるのを見ていた。
「ねえ。あのさ」
テレビの爆笑に掻き消され、耳に届いていないようだった。
「[元カノの名前]」
「え、うん」
「のびっぞぉ。さっさと食べないと」
ボラーは気の付く人だ。見ていないようでいて、場の全てに気が付いている。
啜る音がふたつになった。
無言。
「……お、ありがと」
彼に胡椒を手渡す。軽く振り、最後のスープを飲みほす姿は記憶のとおりだった。
低いソファに並んで座り、テレビを見ている。
つまらないネタにもカッカッカと笑う声。そして、番組が終わった。
「っし、と」
彼の習慣。
食事をして好きな番組を見終えた後。ベランダで煙草を喫い、浴室内の洗面台で2回ほど歯を磨き、シャワーを浴びる。そして、眠る。それが今も変わらないのならば。
しかし、彼が向かったのは浴室だった。
「喫わないの? 煙草……?」
口をついて出た言葉に、
「やめた」
と簡潔な返事だけがあった。トントントン、と重量のない足音が遠ざかる。
「ねえ、あのさ! ボラーくん!」
「はいはい、なんですか~っと」蛇口を捻り、浴槽へ湯を溜める音がする。座っていられず、ついていく。
浴槽を眺める彼。その横顔は子供のようで。変わらないままに見えるその幼い顔。
「お湯、あ、浸かるんだね」
「まぁな~。やっぱ湯船は日本の心っしょ? 温泉入りてえなあ~」
「シャワーじゃないんだ」
「シャワーじゃないっすよぉ」
「わたし、邪魔?」
「……うん? そんなことないって。まぁ連絡なしに来るのはどうかと思うけど」
「ごめん」
「も~謝んなって! なんか理由あんだろ? 困ったときはお互い様って言うじゃん? えーと、うん。いいよもう」
「記憶がないんだ、わたし」
曖昧に響く声。
満ちる、浴室に響く流水の音。
どぽ、どぽ。
「なぁーに言ってんだよ。あは」
「本当。ボラーくんのことだけ、わかった」
「わーったわーったわかったから。ふつう細かすぎて伝わんねーってそのネタ、無理してめんどくさいノリ、やめようぜ。大方、家の鍵でも失くしたんでしょ? 心配すんなって。今晩はちゃぁんと泊めてやっから、心配すんな~?」