第18章 とある民族学者の論考 Ⅱ
彼女の生死は定かではないが亡くなっている可能性の方が高い。
嘘を吐くのは残酷だが旦那様のため……
この嘘を、旦那様が最期を迎える時まで突き通す。
「料理の準備をお願いします。それと、旦那様が支離滅裂なこと言っても話を合わせて下さい」
先があまり長くない旦那様に、ほんの少しでも幸せな時間を過ごして欲しい____
「ドナ」
「はい」
「アンネは料理を気に入ったかね?」
「はい、とても喜んでいましたよ」
「それなら良かった。一緒に食事が出来なくてすまなかったと伝えてくれないか。こんな姿を彼女に見られたくなくてね」
旦那様はもともと細身だったが、今では骨と皮だけの痛々しい姿となってしまった。
もう自力でベッドから起き上がることも出来ない。
「ドナ」
「はい」
「アンネのために部屋を掃除しておいてくれないか。彼女はベッドで眠るのが好きだから」
「はい」
アンネの部屋はこの家が完成したときからずっと綺麗に保たれている。いつ戻っても直ぐに使えるように。
旦那様の体調が良くなかったので彼の教え子達は訪問を控えていたが、ずっと通い続けている人がひとりだけいる。
「クルリさん」
「こんにちはドナさん。先生のお体の具合はいかがですか?」
「あまりよろしくありません」
「そうですか……」
暗い表情を浮かべるクルリだが、旦那様の寝室へ入るときにはいつも笑顔を無理矢理作る。
「先生、こんにちは」
「クルリ、元気にしてたかね」
「はい!先生、気分はいかがですか?」
「変わりないよ」
「それなら良かったです。……実は今日、先生にあるお知らせがあるのです」
「ほぉ、なんだね?」
クルリが旦那様を訪ねてくれるのは正直嬉しかった。
このときだけは正気に戻っているから。
「実は、先生と同じ道を歩むことに決めました」
「そうかそうか。君を誇りに思うよ。……クルリ、ひとつ頼みたいことがあるのだが」
「先生の頼みなら喜んで引き受けます!」
「ありがとう。ドナ、私の研究論文を持ってきてくれないか」
「それはできません!」
いくら旦那様の命令でもそれは出来ない。
「安心してくれ。“家から出さないこと”が条件だろう?私の書斎で読むから」
確かにそれなら問題ない。
クルリを書斎へ案内するために部屋を出ようとしたとき、旦那様に呼び止められる。
