第18章 とある民族学者の論考 Ⅱ
クルリに廊下で待ってもらい、旦那様の元へ戻ると小声で話し始めた。
「あの本を見られないようにしてくれないかい」
「安心してください。クルリさんが書斎にいる間だけ本を移動させますから」
あの事件から旦那様は何かに怯えて生きている。
当時は、不可解な死を遂げた人物の話は新聞で大々的に取り上げられた。
しかし、日が経つにつれて人々の記憶から忘れ去られていった。
あのような衝撃的な事件を忘れるのは、実際に自分の目で見てないということもあるが、何より信じがたい出来事だったからだろう。
「人間が捻り殺された」と聞いても信じる人はそう多くないはず。
あの日、泣きながら街で見たことを話す旦那様の話を信じられなかった。
新世界紀行を私に見せて「これと同じ死に方をしたんだ」と説明されたが、今でも本当のことなのか正直分からない。
ハンターである私にどうにか原因を究明できないかと頼まれたが、私にそんな能力は無く彼の不安を取り除くことは出来なかった。
もしクルリが新世界紀行を読んで、その光景を実際に見てしまったら彼も旦那様みたく何かに怯えながら生きていくことになる。
旦那様は自分と同じ恐怖を彼に味わって欲しくないのだ。
何度も本の処分を考えていたようだが、それが出来ない理由があり今も書斎に置かれている。
クルリを書斎へ案内して論文を渡し、部屋を出る際に新世界紀行を本棚から抜き取る。
それを旦那様へ渡すと、彼は好きなページを一通り読んだ後、枕の下へ隠した。
数時間後、論文を読み終えたクルリは旦那様と楽しそう話していた。
「もうこんな時間。先生、今日はありがとうございました。遅くまでお邪魔してしまい申し訳ありません」
「いやいや。またいつでも遊びにきなさい」
「ありがとうございます。それではまた」
先程までの楽しそうな表情は一変して、クルリは悲しい表情を浮かべて帰っていった。
「ドナ」
「はい」
「少し……疲れてしまった」
久しぶりにたくさん喋ったのできっと疲れてしまったのだろう。
「お休みになりますか?」
「あぁ、少し眠りたい。……アンネが戻ったら、起こしてくれるかい?」
「はい。必ず」
「いつもありがとう、ドナ」
旦那様は微笑んで静かに瞼を閉じ、
「お休みなさい……」
「………」
_______再び目を覚ますことはなかった。
