第18章 とある民族学者の論考 Ⅱ
「ドナ」
「はい」
「アンネのために食事を作っておいてくれないか」
「え?」
「出来れば芋料理にしてくれ。彼女が喜ぶ」
「し、しかし」
「頼んだよ。ドナ」
「……はい」
まるでアンネが帰ってくるような口振り。
ずっと戻ってこなかったのに、今頃戻ってくるとは思えない。
しかし、旦那様の頼みである以上食事を用意しなくては。
台所へ向かい、そこに居た使用人達に旦那様との会話を話す。
「幻覚でも見ているのでしょうか?なんて気の毒な……」
「どうして突然そんなことを言い出したのかしら」
「薬のせいではないでしょうか?副作用で過去の記憶と現在がごっちゃになることがあると聞いたことがあります」
薬の副作用か……
旦那様が現在服用しているのは抗不安薬のみだが、その副作用の可能性も否定できない。
「或いは死期が____あいてッ」
言葉の途中で、隣にいた年配の女性に肘で突かれた新入りの少女はハッとして口を閉ざす。
「……気になります。続けてください」
少女は気まずそうに眉尻を下げて話始めた。
「死期が近づくと、動物や死んだ人間が見えると聞きます。私のじいちゃんは亡くなる数日前から猫が見えていました。泣き声が煩いから追い払ってくれと何度も言われましたが、じいちゃんの居た3階の病室からは猫の泣き声、況してや寝たきりだった状態で猫の姿なんて見えるはずがありません。だから、その……旦那様も、この世に存在しない“何か”が見えているのかも知れません」
______いや、それは可笑しい___
そうなると、アンネが亡くなっていることになるではないか。
……もしかしたら、ずっと昔に亡くなっていたのかもしれない。
今まで戻らなかったのも、
______死んでいたから?
「ドナさん!?急にどうされたのですか!」
「……ッ」
涙が両目から零れ落ちるのを感じる。
ずっと帰りを待っている想い人が、実はとっくの昔にこの世を去っていたと知ったら旦那様は……旦那様はどうなる?
心の拠り所を失った旦那様は_____どうなる?