第18章 とある民族学者の論考 Ⅱ
1932年5月13日
予期せぬ人物が私を訪ねてきた。
その人物は、自分はハンター協会会長のネテロだと名乗った。
数日前に出した、アンネの故郷への同行依頼の件で話があるという。
そして、私が全く予想もしていなかった驚くべきことを言った。
「公表されているアマゾネスの研究論文を取り下げ、破棄して欲しい」
冗談じゃない。
私がアンネと過ごした日々を全て無に返すようなことだ。
勿論断った。
ネテロ会長は顔色ひとつ変えることなく「そうか」と呟くと、彼の背後に隠れていた少女を私の前に押し出した。
ネテロ会長に促され、彼女はドナ=ベイリーと名乗った。
「ドナを用心棒にするなら、取り下げるだけで破棄はしなくて良い。これで妥協してくれないか」
と提案されたが、不快感で顔が歪んでいくのが自分でも分かる。
12、3歳の子どもを用心棒として働かせることに対しても怒りが込み上げたのは勿論、一体何故取り下げなければならないのかとネテロ会長に詰め寄った。
間近で見た彼の瞳に悲しみの色が浮かんでいる気がして、急に答えを聞くのが怖くなった。
アンネ達に何かあったのだ。
ネテロ会長は私の肩に手を置くと、突然謝罪の言葉を述べ始めた。
今回依頼した、アンネの故郷への同行は出来ないと。
彼女達の居住地が極秘指定地となり、外部の人間の出入りが規制されたという。
彼女達に関する情報の全ても規制の対象となるため、私の論文を取り下げて欲しいのだ。彼女達を守るために。
そうだったのか。
全ては彼女達のため。
いつかはこうなると分かっていたはずなのに。
いつだって、少数民族は外部の人間に日常を奪われる危険と隣り合わせだと分かっていたはずなのに……
私は論文の破棄を約束した。
だが、ネテロ会長は首を横に振り、ドナの頭に手を置いて笑った。
「この子は優秀なハンターだ。彼女に任せなさい」
ハンターには見えないが破棄しなくて良いのなら、彼女に託そう。