第8章 貴方と過ごす安土
家康と軍医の診察でただの感冒であることが分かり、武将達は安堵の息を吐いた。
褥に横たわる珠紀を囲みながら、ある者は解熱剤を調合し、ある者は濡れた手拭いで汗を拭き、ある者は静かに見守っていた。
「信長様……少し、よろしいですか」
不意に軍医が口を開いた。信長が幼い頃から織田家に仕えてる彼は、分別弁えど、遠慮を知らない。時には、親のように子供を言い聞かせるが如く意見をすることもある。
「人払いをお願いします」
察した武将達や心配して様子を見に来た女中達は渋々その場を去り、ついには荒く息を吐いて眠る珠紀と褥を挟むようにして座る信長と軍医のみとなる。
軍医は周囲の気配を探っていた目を開けると、真っ直ぐ信長の目を見て口を開いた。
「信長様…珠紀様は、織田家の者ではございませぬな」
確信しているとばかりの声色に、信長は内心舌を巻いた。伊達に歳を食っているだけでなく、歳ながら、未だ織田家に仕える彼は聡い。
「京の都で何があったのかは、私には分かりませぬ。
ですが、姫様はずっと、気を張り詰めておいでだったのでしょう……
此度倒れられたのは、その計り知れぬ心労祟ってのこと……姫様の身心を癒さねば、今後もこの様な事態が起こります。この城での日々を受け入れられる様になるまで、暫しの刻が必要です」
無理をさせぬように念を押して、軍医は退出した。
信長は、荒く苦しげな息を吐く珠紀を見守りながら、自然と手が頰に触れる。すると胸から何かが込み上げてくるが、それが何なのか分からない。手が触れていることがいけないことの様な気がして、静かに頬から手を離す。
(第六天魔王の異名を持つこの俺が……小娘一人に何という様だ)
思わず苦笑が零れる。相変わらず珠紀の素性は不明だが、この乱世に生きる者や武家とも違うのではないかと信長は思っていた。
もしそうだとしたら、珠紀はこれまで過ごしてきた何もかもを手放し、味方もいない不慣れな此処で独りでひたすら耐えていたことになる。
(弱音を吐いたり八つ当たりしたりしないのは此奴の性格故のことだろうが、無理矢理にでも吐かせねば、息抜く事も出来ん不器用者だとはな……
この俺に刃向かう気丈な小娘だが、所詮、一人の女。耐え切れる程ではなかった、ということか)
しばらくその寝顔を見ていた信長は、珠紀の世話を女中に任せて天主に戻った。