第3章 覇道の一里塚 上篇
「まさか。近場に揃えたのは坊官衆の選りすぐりと井上釈迦坊だけだ。他は侍従様に預けてある。それに、大抵の事は釈迦坊一人で何とかなろう」
蝮殿こと大河内御所親類衆 魔虫谷景賦は兵を率いて来なかった。
井上釈迦坊は「西蓮寺弁慶」と呼ばれた程の怪力無双の豪傑であり、「真教」門徒でないにも拘わらずその闘争に参じて転戦し、門徒中その悪僧振りを知らぬ者は居ない、とされる程であった。釈迦坊と西蓮寺入道との付き合いは長いが、まさかこんな所にまで連れて来ているとは。
しかし、関心は他にある。七宝院座主(しっぽういん ざす)が居ぬ間に隙をつけて潜入して来た西蓮寺だが、彼がいつまでその姿で居るのか?綾香や晴政は東京で西蓮寺の使者と接触し、渋々七宝院へ侵入して来たわけだが、晴政の悪癖で色々と「日本人」に知られてしまっている。彼女達(以上に「大人」の男が一番信用できないのが世の常だが)との関わりはほどほどに、世話役としての役目を果たすだけ果たして、これ以上余計な尻尾を出したくはないのだが、その為には何処かで見切りを付けて出る必要がある。
綾香は参考程度に西蓮寺に問うて見よう、と思った。
「それで、いつまで成り済ましているつもりなんです?」
「私の気分次第だね。先程は暫し、と言ったが、もう戻っては来れないだろうからね」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥っ!?」
この男は今何を言った?綾香は耳を疑いたかった。
西蓮寺の言った事が、一体どういう意味か理解できない綾香ではない。対する西蓮寺は何かを謀るわけでもない、当然の事を言ったと言わんばかりの平然な面をしていた。
「…何をしたんです?」
自然と語気が強まる。西蓮寺は綾香からの視線に強い意志が孕んでいるのに気が付き、敢えて視線を逸らした。
「私は何もしとらんよ。だがね、さっき言った筈だよ」
「さっき?」
「天恵を得たのだ、とね」
「…慧静は今何処に?」
答えを急かすように先程より二三歩進み出て綾香は西連寺に迫ったが、彼は至極真面目な顔をして言った。
「羽黒山。出羽の『日本人』の大身清水氏に誘われて七宝院座主と共にね。そして、今出羽は…」
と言い掛け、そこで西蓮寺は綾香の目をじっと見据えた。綾香の目はしっかりと見開かれ、西蓮寺の瞳をじっと見据えていた。答えを急かしているようにも見えた。