第3章 覇道の一里塚 上篇
「兵は未だ備え有り。武備弾薬共に後方にはいくらでもある。まだ戦えます。酒田の兵を呼び戻せれば如何様にでもなるというもの。にも関わらず、ここで倒れた千ばかりの兵と蛮人の手に委ねる万の民の為に、百倍以上の民百姓を共にくれてやりますか?そういう事ではありませんかな?」
「っ!だが」
「閣下は残念ながら、好戦的な敗北主義者でしかない」
「!?」
賢一郎の眉間に皺が幾重にも寄る。そして、眉が釣り上がり、目に力が籠って前へ飛び出て来そうであった。その表情は平時において、まず見受けられる事はなかったであろう。最愛の愛娘達が見る事も決してなかったろうな、と鳥海は思った。
「そうではありませんかな?閣下は勝つ事を考えてはおられぬ。死した兵に気を取られ、行き着く先は玉砕以外の何物でも無い。今日、為政者の責務として兵を見捨て、民を殺す事を認めて兵を引き、明日その敵を討ち平らげ仇を討たれれば、それ以上の死を迎える事は御座いませぬ。然るに、閣下は眼前の敵の勢いに呑まれ、嘆かわしくも倒れた兵に気を寄せるばかりに国運を傾かせ、死の憧憬に憑かれたままに真っ逆さまに落ちていく事を望まれておられる。死に憧憬を抱き、いたずらに死を迎える事を強いる事が果たして政権の長者としての務めで御座りましょうやっ!?否、断じて否っ!」
鳥海の気迫は次第に熱を帯びて行った。賢一郎は二の句が告げない。
「もし、今日ここで閣下がそれでも兵の為に砕け散る事をお望みならば、我もまたお供いたしましょう。決して、後に残って仇討ちも統治も一切行いませぬ故、お忘れなきようなされませ。私もまた耳川を渡る角隈石宗(つのくま せきそう)に習い、書き綴ってきた幾冊の書、書誌日誌の類を全て燃やし、雄物川を渡って対岸の陣中に突き入りますっ!どうぞ、御照覧あらん事を!」
「っ・・・・・・・!」
言葉にならない叫びを無理に押し殺し、賢一郎は反論をやめた。いや、できなかった。鳥海はやや目を離し、机上の地図を見た。
地図は賢一郎が拳を叩き付けた勢いで些か歪み、また机上にて戦況の把握をするべく置かれていた駒を乱して、最早地図は体を為してはいなかった。