第3章 覇道の一里塚 上篇
「生憎だが、その手の事は間に合っているのでね。御提案だけ受け取っておきましょう」
「ほう、ではお好みなのはその肉体の本質ってところでしょうかね?」
「…何を言っているのか、よくわからないが?」
「揺れますよ」
ガタっと車体が揺れた。急にハンドルを切ってカーブを曲がり切ろうとしたからだ。樹下は思わず、仰け反りそうになったが、左手を瞬時に伸ばした晴政が樹下の右腕を掴んで引き戻した。
「すまない、と言う所だが、もう少しどうにかならないかな、九戸さん?」
「申し訳ないが、それは出来ない相談だ」
「スピードを体感しないと酔いでもするのですか?」
樹下は冷や汗をかいたままの不機嫌さで、やや喰って掛かる物言いをしたが、九戸晴政は少し、口の端を上げた。
「いいえ。このご時勢だからね、早い事移動なんて済ましてしまいたいでしょう?それに」
「それに?」
不機嫌な顔のままの樹下に対し、九戸晴政もまた変わらぬ表情と声で答えた。
「多摩を抜けた辺りから、誰かつけている」
「なに?」
樹下は思わず後ろを向いた。だが、視界に入るのは相も変わらず苦しむ湊を立ったまま介抱する綾香と、その死角となって見えないが、湊を気にする椿と亜紀の気配しかしない。当然の話だが、しかしそう言われるとやはり向いてしまうものだ。
「巧妙に隠れている。手練の変質者だ」
「なぜ分かった?」
「まあ、野生の感ってところだろうか」
「野生…」
樹下の様子を興味深そうに窺った九戸晴政は、視線を前に据えつつ、そのまま話し掛けた。
「アイツが何でバスガイド何かやりだしたか分かりましたかね、旦那」
「後ろを見据える為か」
「半分正解」
「もう半分は?」
「前しか見ないお客さんを不意の事態から庇う為さ」
「不意の事態、と、言うと?」
足元がグラつき、それに伴って言葉が途切れる。常に不意の事態が樹下を襲っている中、九戸の言う不意に行き着けるほど樹下に余裕はなかった。
「例えば、後ろから部長さんを狙って撃ってくる、とかかな」
樹下は一気に血の気が引いた。
「何を、馬鹿、な…っ!?」
「VIPってのはそういうものだ。まあ、VIPなんて時と場合によっては〈誰でも〉なりうるのだがね」
樹下には返す言葉がなかった。それを感じて九戸が続ける。