第3章 覇道の一里塚 上篇
小型の送迎用バスは甲斐の山中を車体揺らして進んで行く。平静においてはこのようなタイプのバスは山道での走行には適していない。オプションのバスガイドに客席から茶々を入れていた高瀬川湊が次第にぐったりして行っているのが分かる。それもこれも環境に適さないバスと、運転が荒っぽくて凡そ客商売には適さない運転手のせいだ。
流石に気になったのか、バスガイド役の中浦綾香が様子を見に来て、湊の背中を摩ってやっている。気丈にも湊は
「自分は大丈夫だ」
とジェスチャーで示すが、傍から見てももう限界だろう、吐かせてやった方が良い。椿はそう思った。だが、公衆の面前で吐く、というのはやはり年頃の娘には中々選択肢としては取り辛い。恐らく、綾香もそれが分かっているのだ。自身にも似た経験があるのやも知れない。傍らで湊に付き添っている椿にはそう見えた。
口から再利用不能な汚物を吐き出す様を見られるのは、尤も、嘔吐は飲酒文化のある国ではそれなりに見受けられる事であるから、失禁に比べてもまだ同情の余地がある。ただ、それは飽くまで公衆から行為者を見る目であり、行為者から見た公衆の視線はまた事情が異なる。哀れみの目が、そのまま哀れみに見えても、注目という反応が行為者を傷付け、また嘔吐という肉体の衝動は、それに従わざるを得なかった人間の自尊心ほどこれ以上ないほど蹂躙してくれるのだ。
周囲とはやや離れて事態の成り行きを見ていた星河亜紀は、席から立ち上がり、揺さぶられる身体を座席に掴まりながら支えて、運転席へと歩を進めた。
運転手の九戸晴政はなおもスピードを下げず、運転を改めない。もう少し、丁寧に運転してもらわないと湊以外の者まで酔い出すだろう。既に、自身も若干来ている。
迫って来る少女をミラーで視認した運転手だが、なおも運転を改めない。そして、先程から湊を介抱している綾香も決して運転には口を挟まない。亜紀は少々苛立っていた。
亜紀の様子を感じ取った樹下は、自ら立ち上がって運転席に寄って行った。これによって、通路の中途に立ち往生させられる事になった亜紀は揺れる車内で立ち止まる自信がなかったようで、止むを得ず、近場の席に腰を据えた。偶然にも、湊の席の後ろである。
「どう、気分?まだ、いける?」
「‥う…ん」