第3章 覇道の一里塚 上篇
通常、北畠家支配の伊勢では、当主にして守護である「本所」や親類衆にして役付きの「御所」からの指令文書は、本所或いは御所の奉行人による奉書の形式を以て送られる。但し、今大河内御所の実質的な指揮を採っている侍従具家は、緊急の際には直接送り付けて来る事が多かった。これは、基本的に他人の頭を信用しない侍従具家の癖からなる事である。
「高松様に従って、我ら〈ウェルシュ ドラゴン〉と貴女の組は赤羽谷へ向かうの」
「敵は誰です?」
「…〈日本人〉よ」
エリナーは顔を曇らせた。繭子は作戦の意味が分かった。
「交渉決裂、という事ですか」
「そのようね。まあ、あれは交渉と言えるのかどうか」
エリナーが鼻腔より一抹の不満を吹き出すように呼吸すると、繭子は眉を顰めて語気を強くした。
「いきなり現れて『ここは自分達の土地だ』などとぬかした輩です。せめて御所の指示に従うくらいの事、当然でしょう!」
「い、いや、それはそうなのだけど…」
「それとも、グリフィズ殿は、彼らの言う通りにしろとでも!」
ちょっと落ち着いて、と言いつつエリナーは一歩踏み込んで来た繭子の両肩を押さえた。
「…御無礼致しました」
繭子が直ぐに怒りを顕にする性格である事をエリナーは充分承知していた。別段怒る事でもないが、最初は酷く苦労した。
踏み込んだ足を下げ、繭子は背筋を伸ばす。
「しかし、グリフィズ殿には承服しかねます」
「…何でも言って」
エリナーは腕を組み、敢えて目下に接するように繭子に対する。この子にはこれの方がやり易い。向こうにとってもそうだ。そう学んでからの対応だ。
「グリフィズ殿の徳目は不肖の身ながら存じ上げているつもりです。しかし、しかしながら、無道の輩に対しては、その徳もまた利用されてしまうのみであると考えます。彼らは」
「『我らの土地に押しかけてきた』、って言うのかしら?」
「…はい」
機先を制され、繭子は一瞬で冷めたようになった。両目を瞑って聞いていたエリナーは右目を開けて、
「悟られやすい文句は相手に付け込まれるわよ」
と諭した。
「…申し訳ありません。私は未熟者です」
いいわ、とエリナーは言い捨てるように吐き出した。
「甘いのは分かっている。けどね、繭ちゃん」
「繭ちゃん…」