第3章 覇道の一里塚 上篇
果たして慣れてしまう事が良い事なのか?エリナーは敷島という国に来て思った疑問である。
敷島人は敵を選ばない。親が敵でも子が敵でも構わない。御恩は国家国民に優先し、自らの里を侵す者は全て誅戮するまで攻め立てる。極めて合理的であるものの、結果的に自分自身を含めた、人間の命に対しての感覚が世界基準とは全く異なって、命すら合理と効率の潤滑油としてしまう。それで「命は大事だ」とか「生きる事は素晴らしい」と語られてもイマイチ実感に湧かない。飽くまで異邦人である自分には到底理解できない、この「慣れ」の感覚はエリナーをずっと悩ましていた。
「如何なさいました、グリフィズ殿?」
エリナーの顔付きを見て、繭子は不可解そうな顔をした。
「ああ、いや何でもないの。…慣れているって言うから、凄いなって思っただけです」
「…慣れませんか?」
繭子は素朴だ、とエリナーは思っている。悪い言い方をすれば、繭子は元を正せばどこの馬の骨とも分からぬ者だと言うのだが、この様子だと若き身にして既に敷島人となってしまっているわけだ。純朴の身ゆえにこのようになれたのか?或いは、その身に一体何をされたのか?今の主人もそうだが、敷島人にとっての日常とは、このような「慣れ」を要するものなのか?未だこの国に来て日の浅いエリナーにとって、敷島はやはり疑問が湧かないではいられない存在だった。
「そうね、慣れないわ」
エリナーはそうとしか言えなかった。
「では、慣れて頂きましょう」
繭子はそう言って踵を返し、エリナーがやって来た道を反対に進もうとする。
「待って、まだ伝えきってないわ」
繭子はピタっと止まって、エリナーに向き直った。繭子は冷静沈着な人間ではあるのだが、時折勝手に結論を出して行動を起こしてしまう事がある。
「失礼致しました」
「いいわ、気にしない」
エリナーは少し口の端を上げて答えたが、繭子は表情を変えない。いや、むしろ表情がない。
「侍従様よりの直々の御命令よ。さっき文書で届いたわ。…御所奉行人の記しすらないものだけど」
「…緊急ですね」