第3章 覇道の一里塚 上篇
―伊勢 大内山―
伊勢という土地は南北に長く、気候は土地という土地で様々にあるが、総じて言えば雨の良く降る事で知られている。特に、伊勢中部並びに南部はたびたび癇癪(かんしゃく)を起こして土地の者に暴風と洪水を浴びせる気難しい性格で知られていた。また伊勢と大和にまたがる大台ケ原は世界でも有数の降雨地帯として、年中雨が降っていると云っても過言ではない。
伊勢から大台ケ原を越して行けば紀州の東部に出る。丁度越した辺りは尾鷲(おわせ)と言い、台風が列島に渡りをつけて来るに及んでは、必ずと言って良い程そこを通って来て、多量の雨風を用もないのに押し付けて来た。どの時代においても、尾鷲に台風が踏み込んで来るのは変わらず、尾鷲の傘は他所に比べて丈夫に出来ていた、とさえ言われる程だった。
南伊勢から紀州の東端にかけては人も少なかったが、列島を惨禍に包んだ第四次世界大戦以降は、我が物顔で列島に進駐する列強諸国の面々すら入るのに躊躇う鬱々とした雨と獣道の村々に故郷を追われた人々が大勢やって来て、不幸中の幸いに、潰れ掛けの村々は過疎から過密へ一気に変わってしまった。隣近所は数代前より知っていたこの近辺の者達は、顔も風習も知らぬ余所者達に碌な思いも抱いてはいなかったが、統治者として君臨し出した北畠家の支配の下で「交雑」が進み、遂には彼らと同化するに至った。
但し、それは飽くまで非常事態を利用して武断統治を行った北畠家の努力がたまたま実を結んだだけの結果に過ぎず、多くの場合に賞賛される「同化」という成果は、数多の統治者が夢に抱きながら、大抵は幻として惜しむに留まるものである。そして、幻となってしまった時は、無理に結び付けようとした結果の化学反応で、一気に矛盾と不満が爆発するのである。