第1章 流転
中近世へのシンパシーが強い敷島の者達にとって、「豊臣再興」を標榜する方広院らは、ある意味では意気投合し、またある意味では相容れない人物であった。何故なら彼女は、史実の豊臣氏や、更に古くは平家がそうであったように、武家的権力と貴族的権威の両儀を纏っていたからである。その姿は、かつてこの城に女帝の如く君臨した、淀君茶々殿(よどぎみ ちゃちゃどの)とも重なった。
那須"修理大夫"資政
「丸で『臣下に会いに来てやった』、と言わんばかりの態度であったな。気に食わぬ」
朝倉家景
「だが、彼女の言う事もまた一理だ。斯様なる異変下に於て、人心を掴まず武断主義に走らば、『朱雀大路』の二度手間と成りかねない。『豊臣』等と聞かば、徳川統領も三条殿も仰天されるやも知れぬが、この世界の中では、どうにか話が出来そうな者に見えた」
大関増広
「前時代的とは雖(いえど)も、彼等の軍事力を過小評価すべきではないでしょう。今は彼女等と組み、武州の『亡霊』を牽制する時かと。与一郎達も、我々の安否を気にしている事でしょう。情報通信網の復旧が急務ですな」