
第1章 【織田軍】プロローグ/盃に月を映せば【丹羽長秀】

朝に干した洗濯物を取り込もうと縁側に出ると、みゃー。という声をあげて、三毛猫が壁際に身体を丸め佇み、こちらの様子を伺っていた。
『にゃー。』
とその声を真似てみれば、徐に足元にすり寄ってきた。
こういう時、逃げてしまうほうが野生として正しいのだろうけれど、人馴れしているのか、可愛らしくこちらを上目遣いで見つめて、なにかをおねだりしている様子だった。
『ん、どうしたの?』
と思わず声をかけると、猫は片目でちらりとこちらを一瞥し、再び、みゃーと鳴きながらそのしなやかな身体を私の足に擦り付けた。
『おなかすいてるの?』
といっても、生憎、猫が好きそうなものは持ち合わせていない。そもそもこの織田の城において私はご厄介になっているわけで、勝手に猫に施しをするのはなんだか気が引けた。
『君の好きそうな物はもっていないの。ごめんね。』
と声をかけながら、しゃがみこんで猫の毛並みにそって身体を撫でる。腰のあたりをとんとんと刺激し、顔まわりをくしゅくしゅとマッサージするようにくすぐれば、喉をごろごろと鳴らして、みゃーとまた声をあげる。
『気持ちいいの? ふふっ。君は甘え上手だね。可愛い。』
そんな自分の台詞に
--可愛いげのない女。
と、元の世界において、言われたくないひとから浴びせられた心のない一言が脳内で再生される。
心を寄せたのは、私だけだったのかもしれない。
入社当初は可愛がってくれた職場の先輩。
距離が近くなるにはあまり時間が掛からなかったと思う。
先輩に追いつきたくて、もともと勉強は嫌いじゃないし、負けず嫌いな性格も相まって、仕事を頑張って覚えてこなしていくうちに、気付けば私は成果を出しすぎたのだと思う。
出る杭は打たれる。
成果の量に比例して周りにはあからさまな嫌味をいうひとも増えていった。それでも、彼は私の味方でいてくれると思っていたけれど、実際は違って。周囲と同じように彼の心も離れていった。
…きっと、プライドの高い彼からすれば、私は自分の出世に邪魔なだけの女になってしまったんだろう。
彼氏に頼って成果をあげたと言われたくなくて、私自身、どこかで距離を置いてたのは事実だし。
今更未練があるわけでもないけれど、それでも、
『…君みたいに甘え上手になりたかったな。』
ため息と共に自嘲めいた本音が口をついて出てしまっていた。
