第2章 【伊達軍】上弦の月【伊達政宗】
夕陽が照らす通路を進むと、おそらくは自分の目的の場所から、
『からすがなくからかーえろ』
と、まるで童の科白のような呟きが聞こえた。
秋風に混ざって耳に届いたその声は何故かとても心地良い。
(瀬那か…。)
今日はまだ顔を会わせていない上に、ここ数日間はすれ違う程度で殆ど会話という会話をした記憶がなかった。
程なくして、瀬那は溜息をついたようだった。
ただ退屈しているのか、
元の世界を思っての感傷的なものか、
それとも、
自分と会えていないことを寂しく思っているのか…
……何を考えているんだ。俺は。
きっと後者のそれはないだろう。
それでも、そう思ってくれていたら…と思うと、胸のそこからじんわりとしたあたたかさがわき上がるような気がした。
耳を澄まして彼女の挙動を気にしていることに気がついて、一人だというのに、何だか照れ臭くなったが、少なくとも、瀬那が自室にいて、暇を持て余しているのなら丁度良い。そう考えが落ち着くと、心なしか足取りが軽くなったようだったが……気のせいに違いない。
瀬那の部屋の前で足を止め、声をかけると驚いたような返事から一呼吸おいてから戸が開いた。
彼女の持つ優しい甘い香りがふわりと鼻孔を擽った。
瀬那の顔を見ると、家臣の悪口雑言を受け流しきれずに胸の中を渦巻いていた鬱々とした苛立ちが、不思議と、まるで綿菓子を口に含んだときのように溶け消えていくかのようだった。
軍議の半ばで抜け出してきたことを渋々白状すると、困ったような表情を浮かべたが、休ませてほしいと頼めばふわりと微笑み、俺を部屋に招き入れてくれた。
心を開いて貰えることは嬉しい反面、少々、他人に気を許しすぎなんじゃないか…と心配にもなるが、こうして彼女の肩に凭れて、その甘い香りを身体の中に充填するように静かに深く吸い込むと、優しい幸福感で満たされた。
『肩でいいんですか?』
「あぁ。」
『…政宗さんのお役にたてるのなら。どうぞ。』
「おまえの傍にいると落ち着くからな。」
何かしらの返答を待っていたが、瀬那が黙っているのが気になって表情を窺うと頬が桃色に色づいていた。
(可愛らしいな…。)
思わず口許が緩みそうになるのを気取られないように
「顔が赤いぞ。」
と誤魔化した。