第1章 【織田軍】プロローグ/盃に月を映せば【丹羽長秀】
瀬那の柔らかな唇に自分の唇を押し当て、
(灸をすえてやっているだけだ…。)
と自分で自分への言い訳をしながら、ゆっくりと牙を立てた。
口腔内に控えめに広がる彼女の血は、俺の中に甘美な至福を注ぎ、細胞と細胞のわずかな隙間のすべてをも満たしてくれるようだった。
本能的に惹かれる彼女の魅惑的な香りに抗えなかったこともまた事実で、心のなかで僅かに舌打ちをした。
だが、こうして吸血をしている間の瀬那は、はじめはもぞもぞと身を捩ったが、特に嫌がって抵抗することもなく、身体の力が抜け、とろんとした様子でされるがままに俺に身を委ねていた。
その様に何とも言えない愛しさが込み上げてくる。
(このまま…ずっと……。)
こうして腕の中に瀬那を捕らえているつもりが、捕らえられているのは俺の方だと、自覚させられる。
しばらくして、とっくに流血の止まった唇を離すと、長らく閉じていた瀬那の茶色い瞳がおそるおそる瞼の隙間から顔を覗かせた。
『…ん……ぁ…。』
柔らかな口元から漏れる吐息も甘く感じてしまう。
少し居ずまいを整えようかと思って、瀬那から身体を少し離すと、瀬那の首筋から肩までが露になっていることに気づいて、ドキリとした。
唇を合わせている間に瀬那が身を捩ったせいだろうが、浴衣が着崩れ、襟が肩の先端に覚束無い様子で留まっていた。視線を動かせば、裾の隙間から足が太腿まで見えていた。
月明かりに照らされた彼女の四肢は目眩がするほど美しく、まるで輝いているようにみえた。
今しがた本能とのせめぎあいに敗北した俺の理性は既に撤退を決め込んでいるように静かだったが、
はだけた胸元の膨らみに一筋の傷跡を見つけて、
(…何故…こんな刀傷を…?)
と思ってすぐに、はっとした。
もしや…と思い付いたその傷の理由に、自分でも知らない感情が湧いてくる。
「……瀬那……この傷はなんだ?」
そのまだ新しい傷跡を、指でそっとなぞると、瀬那の身体がぴくりと跳ねた。