第1章 【織田軍】プロローグ/盃に月を映せば【丹羽長秀】
ぐいっと抱き寄せられたと思ったら、
キス、された。
ファーストキスってわけではないはずなのに、あまりにも優しくて甘いそれは初めての感覚で。
とても気持ちよくて、ずっとこうしていたいなんて思ってしまった自分に、そして、身体に力が入らずに長秀さんの胸にもたれ掛かって動けないことに、徐々に羞恥心が芽生えてきた。
長秀さんは体勢を変えるつもりはないとばかりに、腰に手を回したまま、余裕ありげに盃をぐいっと傾けていた。
息が上がってしまって、何も言葉が出てこない。
仕方なく、声にならない抗議を込めた視線を長秀さんにおくるけれど、
「煽るんじゃねぇよ…。」
と、低い声で独りごとのように囁き、触れるだけのキスをされた。
『…っ!』
自分でも顔が赤くなってるのが分かる。
そんな私を見て、長秀さんは思わずくすりと笑う。
「…嫌、だったか?」
まぁ、そんなふうには見えなかったけどな。と付け加えて、口元に弧を描いて目を細めていた。
まっすぐに私の瞳に翡翠色が映り込む。
「…俺以外のやつにさせるんじゃねぇぞ。」
と、まじめな顔で熱っぽく言われて、どうしていいのかわからず、けれども、視線を逸らすことも許されず、ただただ、自分の鼓動の音が響いていた。
そう遠くない未来に
元の世界に帰るのに
その熱を
私は受け取っていいのだろうか。
まだ名前のない、この私の気持ちを言葉にしていいのだろうか。
言葉を発することを逡巡していると、
私の心中を知ってか知らずか、
小さなため息とともに、
「この状況で考え事か?」
と声に怪訝の色を含み、問われた。
『…そんなことは…。』
と首を横に振ったが、
「…無防備すぎるって、今さっき言ったばかりだろ。そんなんだと、いつか痛い目を見るぞ…。」
後頭部に手が回され、再び唇が重なったように思った瞬間、ピリッとした痛みが走った。
生暖かい液体がゆるりと涌き出る感覚。
(…血が出てる?)
長秀さんは、じんわりと沸く鮮血を満足に眺め、それをゆっくりと丁寧に舐めとる。その舌の動きは、私の感覚を甘く痺れさせ、それはまるで穏やかに寄せては返す小波に溺れていくようだった。