• テキストサイズ

諸恋

第5章 魅惑の女性




今となってはそれだけで十分だった。花織は初めて瞳子の前で微笑んだ。苦手、いけ好かない。その気持ちが少しだけ拭われたような気がした。

「花織さん今……。あれ、姉さんまだいたんだ」

花織の背後から声が聞こえた。花織が振り返るとそこにはヒロトと少しだけばつが悪そうな緑川が一緒にこちらに向かって歩いてきていた。ヒロトは花織と瞳子の間に入って不思議そうに二人を見比べる。

「何か話をしていたのかい?」
「もう終わったわ」

瞳子はいつもの素っ気無い態度で合宿所の出口へ向かう。そして靴を履き替え、思い出したように弟の名を呼んだ。

「ヒロト」
「何だい、姉さん」

瞳子が振り返る。その時の瞳子の表情は花織が見たことがないほど柔和な顔をしていた。姉が微笑ましさを弟に向けるそんな表情。

「手強い人を好きになったわね」

カツカツとヒールの音を立てて瞳子は去ってゆく。三人はその姿をただ見送ることしかできなかった。ヒロトは困ったように顔を顰める。花織に用があったのだが、それどころではなくなってしまった。今の姉の言葉は間違いなくヒロトの花織への感情を指していたため、どのようにヒロトは話を切り出せばよいかわからなくなってしまった。

「ヒロトさん 、私に何か用があったの?」

それに気を使った訳ではないが、先に切り出したのは花織だった。花織は先刻ヒロトが自分に声をかけようとしていたことを忘れてはいなかった。そしてとにかく瞳子の言葉は気にしないようにしていた。ヒロトは珍しく口ごもりながら花織に返答する。

「ええっと……、花織さん今時間はいいかな?緑川が花織さんに話したいことがあるみたいなんだ」

ほら、とヒロトが緑川の背を押して花織の前に差し出すようにする。決まりの悪いような表情をした緑川は花織の前に歩み出ると素早く頭を下げた。
/ 366ページ  
スマホ、携帯も対応しています
当サイトの夢小説は、お手元のスマートフォンや携帯電話でも読むことが可能です。
アドレスはそのまま

http://dream-novel.jp

スマホ、携帯も対応しています!QRコード

©dream-novel.jp