第3章 恋人の距離
「8……、9……、10。よし」
最後のセットが終わり、カウントが止まる。ふたりは大きく息をついて床に座り込んだ。結構これだけで汗が出てしまうのは代謝がいいからだろうか。ふたりとも花織が準備しておいたボトルを手に取って水分補給を行う。
「花織、ありがとう」
「え?」
唐突に風丸が花織を見つめて呟いた。花織は突然の彼の言葉に驚いて目を見開く。別に感謝されることなど何もしていない、と思ったのだ。
「この練習、俺のために考えてきてくれたんだよな」
風丸がちらりとボトルの傍に置かれた紙切れに視線を落とす。そこには確かに花織の字で筋トレ・ストレッチメニューが書かれている。そのトレーニングでどの筋肉を鍛え、それが何に作用するのかまで徹底的に調べられている。
「私は一郎太くんに頑張ってほしいから。……それに一緒に練習できたらなって、思ってて。筋トレとかなら私もできるし」
彼はもうただのサッカー部員ではない。日本代表として世界と戦う選手だ。だからこそ花織と、全体練習後にふたりだけで特訓をすることができない。花織が頼めば風丸はきっと了解してくれるだろうが、それは確実にオーバーワークとなり翌日に疲労を残してしまうだろう。花織が風丸と共に走る時間は失われつつある。
だから今回の合宿所からの退出禁止は意味が分からないと批判する反面、少しだけ、ほんのひとかけらだけチャンスだと思った。
「花織がそう思ってくれるだけで嬉しいよ。それに俺も、花織と一緒に練習できるのは楽しいしな」
「ありがとう」
風丸の屈託のない感謝の言葉が嬉しくて、花織は俯き嬉しそうに微笑む。風丸はそんな彼女を見て礼を言うのは俺の方だよ、といって彼女の頭を撫でた。
「じゃあ、そろそろ次のメニューをやろうぜ」
風丸がそう言ってゆっくりと腰を上げた。花織もそれに続いてゆっくりと立ち上がろうとする。