第3章 例え自分が何者でも【山姥切国広】
その時、莉央の背後の茂みが揺れるのを感じた。
莉央が振り返るよりも早く、山姥切はその茂みに向かって一閃、刃を煌めかせた。
「い、今の……」
莉央の視界の中で、遡行軍の死体が霧散していた。
「敵は、待ってはくれないからな」
それに続き、遡行軍が続々と森の中から姿を現しはじめた。
その数、十には届くであろうか。
(俺一人でなら、この程度の数の敵など巻くなり倒すなり好きにできるが……)
山姥切はちらりと、隣の莉央を見遣った。
まだ事態を飲み込めていないのか、恐怖のあまり動けないでいるのか、青い顔で遡行軍を見上げていた。
そんな彼女を山姥切は背中に庇いながら彼女に囁いた。
「絶対にここから動くな」
それだけ言うと、山姥切は斬りかかってくる敵を一人、また一人と切り捨てて行く。
敵の数が半分になった頃、遡行軍も山姥切の強さに警戒するように距離を置き始めた。
山姥切はその隙を付き、莉央の手を取ると、山を下るように走り出した。
二人が駆け出してから、どれ程時間が経っただろうか。
「ごめ……も、走れな……」
莉央は息も絶え絶えに山姥切に訴えた。
山姥切は振り返って主を見遣った。
莉央の全身からは汗が吹き出し、肩で息をしている。
「……少し、休むか」
山姥切は近くの木の根元へ腰を下ろした。
莉央もその隣に腰を下ろす。
「とはいえ、あまり長居はできないがな。またいつ見つかるとも限らない……どうかしたか」
山姥切は自分を見つめる主に気がつき、眉を潜めた。
「怪我……してる……」
莉央はおそるおそる、彼の頬を指差した。
山姥切もその場所に自身の指先を這わした。
確かに、血が滲み出しているようである。
「この程度、なんてことはない」
山姥切は乱暴にその場所を擦った。
それを見て莉央は慌ててその腕を取った。
「だめだよ! 余計に悪化しちゃうよ!」
「あんたの心配は無用だ」
山姥切は自分の腕を取る主を振りほどこうとした。
けれど今回ばかりは、莉央も引くわけにはいかなかった。