第3章 何故人は泣くのかしら?
音はない__。
色も温度もない。ただ暗黒の広い世界がひたすら続く、それが私の知っている電脳空間だ。
Dr.にメンテナンスをして頂いている時は私の意識はいつもここにあって、上も下もわからない場所でただただ目が覚めるのを待っていた。
私の知っている電脳空間はそんなイメージだった。けれど……。
「うわぁ……」
下へと落ちていく感じが数秒つづき、やっと足元に何処かへ降り立つ固い感触を感じ閉じていた瞳を開けば、眼前に広がるのは背の高い本棚。
真ん中に白い道があり、それに沿う様にギッシリと本が詰まった棚が向かい合わせに並んでいた。
初めてみる光景に暫し辺りを見渡しながら佇んでいると、棚の前に黒い長裾のローブを纏った人影を見付ける。
茶色いさらりとした髪を短く切り揃えた青年。よく見ればその顔はオラトリオと瓜二つだった。
でもその表情は少しばかり緊張の面持ちで、じっと私を見据えていた。
……違う。彼はオラトリオじゃない。
似てはいるけど、今目の前に立つ青年が携えた表情は私の知るオラトリオとは違って穏やかさを含んでいる。彼はこんな表情はしないはず。
少なくとも私には。
「貴方は……誰?」
私の電脳にも記録されていない青年にゆっくり歩みを進めながら訊ねる。
青年は横一文字に唇を引き締めたままだ。
「貴方は誰?」
もう一度問いかけた言葉と共に青年へと指先をのばせば、触れる寸前で掴まれてしまう。
それを阻んだ掌から伝って主を見上げれば、もう見慣れてしまった鳶色と視線が絡む。
「大丈夫だオラクル。今こいつと俺は電脳を繋ぎあわせた状態だ。何も出来やしねぇよ」
電脳同士を繋ぎあわせている?
ふと、先程電脳空間に降りる前の事を思い返す。そして「そういう事か」と小さく頭を振った。
さっき手渡されたコードの一本の+の部分は彼のジャックへと差し込まれていた。反対に-は私のジャックへと差し込んだから、今私達は一つの線で互いをリンクしている状態なのだろう。
まぁ彼の言葉を解釈するならば、多分リンクを"している"と言うより"させられている"が正しいのかも知れないが。
でも、それより何よりもさっきオラトリオはこの目の前の彼をなんと呼んだの?
大丈夫だ"オラクル"と。
オラクルだと呼んだ。