第29章 昧
ゆっくり近づいて。
両腕を伸ばす。
華奢な体躯を引き寄せて。
肩に顔を埋める。
「泣いちゃ、駄目だろーが」
そう、いつもの調子で言って。
送り出してやらねーと。
「泣いて、ないです」
そういう強がりも。
暫く聞けないから。
「そーだな。そういうとこも好きだわ」
俺は少し、素直になっとく。
格好つけても、仕方がねーし。
「起こして、ごめんなさい」
「つーか、こういうときは起こしてくれねーと」
「でも、」
「俺が……見送りてェの」
朱里ちゃんが抵抗しないから。
俺は更に腕に力を込めて。
「ちゃんと言わせろ、コノヤロー」
そう言って、額に額をコツンと合わせる。
「ココに、帰ってこいよ」
涙に濡れた、綺麗な目。
「ココで、待ってるから」
長い睫毛が、頷くようにゆっくりと瞬く。
「ちゃんと銀さんのところに、帰ってこい」
背中に回された腕。
「…………はい」
形の良い唇が、震えた声を紡ぐ。
離れる温もり。
引き留めて、唇を塞ぐ。
「……続きは、帰ってきてからしよーな」
俺の不意打ちに。
心底嬉しそうな笑顔で。
「ありがとう、坂田さん……行ってきます」
夜明け前の静寂に響く声は。
清々しい程に澄んでいて。
振り向かない真っ直ぐな背中を。
やっぱり手放したくないなんて、今更。