第1章 朧月夜
「ほんなら、今日はここまで。解散」
「ありがとうございました!」
チャイムが放課後を告げて、何時間が過ぎたのだろう。
青空に翳りが見え始め、黒くなる頃になって初めて、男子テニス部のコートに解散の合図がかかった。
顧問教諭に一礼して、部員たちは厳しい練習から解放された安堵のため息が漏らす。
テニスラケットを片手に各々部室に戻る足音は、まるで重石を引きずっているかのように軽やかさが欠如していた。
「新しいクラス、どやった?」
部室で制服に着替えていると、一氏ユウジが問いかける。
数秒、衣擦れだけが響いていたが、忍足謙也の口から「ああ…」という声が漏れた。
「白石が自己紹介ん時にめっちゃデカイ声出してスベっとった」
まさか自分が話題の踊り場に放り出されると思っていなかった白石は、思わずシャツの第三ボタンを留める手を止めた。
別にギャグで大声を出したわけではないのだが。
「何や友達百人作りたかったんか~?」
「またアホな事考えとったんちゃいます?」
一氏と後輩の財前光から、粗雑な言葉が飛んでくる。
「うっさいわ」とだけ返してから、謙也の挨拶がわりのギャグが滑った上、名誉挽回をしようとギャグを連発したら担任にもう座るように言われた事を暴露してやる。
すると二人は、「ちょっ、白石…それは…」と言葉を詰まらせ始めた謙也の方を、薄い目で見始めた。
「やっぱりケンヤはケンヤやな」
「クラスの人らが気の毒っすわ」
「お前らそれどういう意味やねん!」
辛辣な言葉に最初は威勢良くツッコミを入れた謙也だったが、一氏や財前が「アホや言うとんねん」と言ったあたりで、言葉らしい言葉を言い返せなくなっていく。
次第に、この言い合いに自分の勝ち目がない事を悟ったのか「あー…えーっと…」と、必死に別の話題を探し始める。
そんな意味のない言葉が謙也の口から二、三度漏れた、その後のことだった。
「あ、せや!白石の前の席の奴! アイツが喋っとった時何かヒソヒソうるさなかった?」