第1章 朧月夜
―ありがとう…!
あの時の言葉が心にもないことだとは、どうしても思えない。
頭の下げ方だって、まるで飛行機の客室乗務員がするような模範的なそれだった。
本当に心の底からそう思っていない限り、人はあんな行動を取れるのだろうか。
少なくとも皆が言うような、何もしてないクラスメイトを睨みつけ、見下すような人間に出来る芸当だとは、どうしても思えないのだ。
「…分からへん」
指の第二関節までを包帯で巻いてある左手で頭をガシガシと掻き毟る。
聞こうにも彼女はここに居ない。自分の胸に手を当てても、答えなんか出て来やしない。
出せという方が無理なのだ。
頭の使いすぎからくる、言いようのない疲労感。
何かもっと、深くまで取っかかれるきっかけがあったらなぁ…。
そう考えながら、窓の外をボンヤリ眺めていると、ノックもなしに保健室のドアが開く音がした。
見れば、半分ほど開いたドアから後輩の財前光がひょっこり姿を現している。
「うわ…また居る」
そう呟いた声色や顔に「面倒な奴と会ってもうたわ」と、大きな文字で書いてあるのは触れないでおこう。
「どないしたん財前。怪我?」
「俺はただの付き添いの図書委員です。怪我人はこっち」
言うが早いか、ドアのもう半分が開いて財前の言う「怪我人」が放り込まれる形で保健室に入り込む。
不意に投げ入れられた怪我人が、覚束無いステップを二、三踏んで白石の正面に現れた。