第1章 朧月夜
「さっきお前がやっとった事と何がちゃうねん」
白石のトドメと同時に、勝負ありと言わんばかりのタイミングで、チャイムが授業の終わりを告げる。
成り終わったと同時に教室の扉が開き、最初に自習用プリントを出しに来た教師が
「各自でプリント出しに来ぃやー」
と、間延びした口調でやって来た。
その瞬間、森くんと白石の声以外は一切無音だった教室は、魔法が解けたみたいに賑やかさを取り戻す。
ザワザワ、ザワザワ。皆が長方形の白い紙を持って、教卓に並ぶ。
あかんあかん。つい、変なんに構ってもた。
顔を赤くさせたままブルブルと震え始めた森くんに背を向けて、謙也の机に置いていたプリントの端を、左手で掴んだその時だった。
「あの、白石くん」
背後から聞こえたその声は、決して大きい声ではない。
それでもその声は、水が肌に馴染むようにして、何の抵抗もなく耳に浸透した。
「…高野さん」
振り返ると、そこには彼女がいて。
初めて真正面でちゃんと見た彼女の目は、何かを言いたそうに宙を彷徨っていた。
あるいは、言いたいことが多すぎて何から言えばいいのか迷っている…という線もある。
「ありがとう…!」
心の底から、搾り出すように出したとしか思えない切羽詰った声。そして、そこから上げる気配がない頭。
まさか、頭を下げてまでお礼を言われるとは思わなかった白石の口から、「えっ」なんて間抜けた声がこぼれ落ちた。
「いや、そんな風に言うて貰えるような事してへんから…俺ああいうん嫌いやから言うただけやし、そない気にせんでええで」
頭を屈めて、声を詰まらせながらも、彼女に頭を上げるように言う。
それでも頭を上げない彼女に、もう二、三度同じ事を繰り返すと、ようやくゆっくりと頭が上がった。
再び合わさった彼女の目が真剣そのもので。
その目を見ていると、さっきの「ありがとう」の声が、何度も何度も頭の中でリフレインする。