第1章 朧月夜
向かい合わせの謙也と言葉のキャッチボールをしながら、プリントに目を移しかけた時だった。
ガタンッ!
教室中に凄まじい音が響き渡る。
何事かと見てみれば、椅子が地面にひっくり返るほどの勢いで、男子の一人が起立したのだ。
「皆ァ! 聞いてくれ!」
狭くて四角い空間を切り裂く叫び声は、耳が痺れるほどにこだまする。
三年二組に居た誰もが口をつぐみ、騒がしい教室の中で、一際騒がしかった男女のグループが屯している方を見やった。
一気に注目の的になった彼は、そんな状況を楽しむ様にニタニタとした笑みを携えながら、言葉を続けた。
「今から森くんがオモロイ一発芸やりまーーーーーす!!」
そう言うが早いか、同じグループの少女らが森くんの背中を思い切り押した。
押された森くんはバランスを崩しながらも、ステップを踏むように軽やかに前進する。
丁度高野小夜の真正面に躍り出た森くんを、当然彼女はキョトンとした顔でみつめていた。
それを眺める彼の友人は、面白半分…いや、面白さ百パーセントといった顔で
「ババ抜きの結果や!男見せろよ森ィ!」
「一人も笑わせられへんかったらデコピンな!」
などと、悪戯を仕掛けた子供のような声で囃し立てていた。
下卑た笑顔、下品な笑い声。どんどん重苦しくなっていく空気。
連中がやりたいことは、何となく察しがつく。
嫌な予感が黒い霧となってたちこめる中、森くんはソバカスだらけの頬を掻いてゆっくり口を開いた。
「あー…あんな、高野」
どうやら彼らの言う「オモロイ一発芸」が始まったらしい。
先程の嫌悪感を孕んだ表情はどこへやら、照れ臭そうな表情で話す森くん。
呼ばれた彼女は、訝しげな表情を浮かべながらも「はい」と、椅子から立ち上がる。
「お、俺実は…」
しばらくは「あー」だの「その」だのを繰り返していた森くん。
それを聞いている彼女の真意は分からないが、森くんの言葉に僅かに身を乗り出して、じっと耳を傾ける姿には、とても適当に聞き流しているようには思えない。
話を聞いてくれる彼女の真摯さに応えるためか、それとも別の目的があるのか、森くんは真剣な面持ちを彼女に向けた。
「あの、前から高野のこと…す、好きやってん…」