第1章 それはまさに
「何もたもたしてたのよ。はあ……じゃあ、あんたの実力見るからさっさとストレッチして」
絶対零度の声のトーンに花織は思わずため息をつきそうになった。どうやら風丸の激励は花織にとっていい効果をもたらさなかったらしい。
花岡に言われた通り、花織は一人で体を伸ばす。春休みの間はこうしてタータンの上で走ることもなかった。久しぶりにフィールドで思い切り走れるという喜びを花織は胸の中で感じていた。
花織はストレッチを終えるとスパイクに履き替え、右手首に付けていた黒ゴムを外し、長い黒髪を高く結い上げた。所詮、ポニーテールだ。花織は常にスポーツをするときは髪を結うことにしていた。本当は部室を出てからすぐに結ぶつもりだったのだが、風丸に会ったため今の今まで時間がなかった。
「いつまでやってるのよ!」
花織の行動に花岡の怒号が飛ぶ。花織は花岡にせかされながらはやる気持ちを抑え、スタートラインに立った。スターディングブロックに足をセットしてラインに指を付ける。この感覚も久しぶりだった。
”用意”で軽く腰を浮かせて地面を蹴りやすい体制を保った。自然と花織口元が微笑む。いよいよだ、やっとこの瞬間に立つことができた。
競技用のホイッスルの音と共に花織は強く地面を蹴った。低い姿勢を保ったままぐんぐんと加速していく。だんだんと姿勢を高く持ち、50mを超える頃……この瞬間が花織は好きだった。耳元で聞こえる風の音。そして風を切るこの感覚、それがとても心地よくとても言葉では表しきれない。
花織が風の感覚を楽しんでいるといつの間にか彼女はゴールラインを駆け抜けていた。減速をして振り返れば花岡が息を切らせて花織を鋭くにらみつけていた。いきなり現れた新参者に圧倒的に負けたのだから腹が立つのは仕方のないことだが。
花織が久々に走ったことへの喜びをかみしめて踵を返すと目の前に金髪のセミロングの少年が花織の前に立っていた。ぎょっと思わず花織は目を見開く。