第118章 幸せな時間明けの日常は夢オチを疑う。
思わずバッと顔を上げて将軍の顔を見上げる葵咲。将軍は見上げていた顔を隣へと向け、葵咲に視線を合わせる。そして真っ直ぐな眼差しで葵咲を見据えた。
茂々「過去など関係ない。大事なのは今。」
葵咲「・・・・・。」
将軍の言葉は素直に嬉しい。だが、その言葉をそのまま受け取って良いものなのだろうか。葵咲は躊躇う。それが態度へと表れ、再び俯いてしまう。葵咲は膝の上で手を組む。その手はきゅっと力強く握っているのにも拘わらず、相反して震えていた。その事に気付いた将軍は葵咲の拳の上へとそっと優しく手を重ねる。
葵咲「!」
茂々「今の私はただの茂々。征夷大将軍でもなければ、幕府の者でもない。私に気を遣う必要はない。」
葵咲「・・・・・。」
何処までも優しい将軍に、葵咲はいたたまれない気持ちになる。葵咲は返す言葉を躊躇っていた。その先にある言葉を話すべきか、否か。だが葵咲はこれもまた話さないわけにはいかないと思い、口を開こうとする。だが将軍はそんな葵咲の様子に気付いたのか、目を瞑って首を横に振った。そして将軍が更に言葉を続ける。
茂々「昔、風の噂で耳にした事がある。市村の家に引き取られた娘の事を。」
葵咲「!」
茂々「…辛い想いをしてきたのだろう。すまなかった。ずっとそなたの苦しみに気付いていながら、手を差し伸べられなかった…。本当にすまなかった。」
葵咲「上様…。」
気が付けば葵咲の瞳からは大粒の涙が一筋、頬をつたっていた。その涙を将軍がぬぐう。そして優しく微笑み掛けながら言った。
茂々「そなたが辛いというのであれば、無理にここに居る必要はない。逃げ出して構わない。そなたを苦しめる事は誰も望まないだろう。」
葵咲「…っ。」
言葉にならない。葵咲はきゅっと目を瞑りながらフルフルと首を振るう。将軍は自らが羽織っていた羽織を葵咲へとそっと優しく掛け、再び空を見上げた。
二人のそのちょうど真上。屋根の上には服部がいた。服部もまた、屋根の上で静かに空を見上げていた。
服部「・・・・・。」