第12章 荒浜海士仁
「・・・・いや、ないでしょう。我ながら浅ま・・・・・。・・・・あ・・・・・・・」
情けなさげに言いかけて、牡蠣殻は息を呑んだ。
黒目勝ち過ぎる目が、俯けた視界の中からこちらの目を覗き込んでいる。
「独り言か」
海士仁が隣に屈み込んでいた。
「相変わらずだな」
長く編んだ髪を黒々と垂らし、牡蠣殻に倣うように地べたへ両手をついて、海士仁が楽しそうに笑っている。
麝香と茉莉花の入り交じった海士仁の匂いに牡蠣殻は顔をしかめた。
海士仁はそんな牡蠣殻に満足そうな表情を浮かべた。
「磯を捨てたな?波平の犬が、飼い主の手を噛んだ」
「噛んでませんよ。犬でもない。相変わらずですね。相変わらず馬鹿だ」
「俺は馬鹿ではない」
「馬鹿ですよ」
「そう言うのはお前と藻裾だけだ」
「これから増えますよ。安心しなさい」
「不愉快」
「でしょうとも。私ですら馬鹿馬鹿言われるのは愉快じゃありませんからね。賢い気でいるお前は尚の事でしょう。フ、馬鹿馬鹿しい」
「死ぬか?」
穏やかな声音で言って、海士仁は尚も牡蠣殻の顔を、目を覗き込んで来る。
牡蠣殻はそれを見返して笑った。
「先約があるんですよ。お前に殺されるわけにはいきませんね」
「先約?無い。初めは俺だ。後は知らぬ」
「やり損なっただけでしょうよ。お前は」
牡蠣殻は呆れて立ち上がった。
「大体お前と何の約定も交わした覚えはありません。あれから五年も経ってるんですよ。未だに何を独りで大騒ぎしたがってるんです?」
「変わりない」
「言ってなさい。馬鹿が」
海士仁は口角を上げて牡蠣殻を見上げた。
「薬が匂う」
「そりゃ呑みましたからね」
眉をひそめて牡蠣殻は海士仁から距離をとった。
海士仁は屈み込んだまま牡蠣殻を目で追い、頷いた。
「ついて来い。薬師が会いたがっている」
「・・・ああ、連んでるんですか。似た者同士お似合いですよ。おめでとう。良い連れが見つかって何よりですね」
「口の減らぬ」
「そうですね。よく言われます」
「知り合いか?」
「は?薬師さんの事ですか?知り合いという程のものでは全くありませ・・・・・」
律儀に答えながら尚も海士仁からジリジリと距離をとろうとした牡蠣殻の背中が、トンと何かにぶつかった。