第23章 大ハード
深水と杏可也の前に現れるなり、海士仁は気軽な様子で何の躊躇いもなく深水に襲い掛かってきた。
間隙のない攻撃は海士仁の得意とするところだが、相手の反応を見たいが為に畳み掛けるような争い方は滅多としない。
結果より過程を楽しみたい気質は海士仁の学問への姿勢によく似ている。
結果は無論、出る。出ない事はない。それは海士仁にとってわかりきった至極当然の事。
ならばそこに至るまでの道程を楽しまなくて、何を楽しめばいいというのか。
深水は翻弄されていた。体のそちこちから血が噴き出、手の感覚が薄くなり始めている。
何処で間違ったのか。
わかっている。
牡蠣殻の検査を海士仁に手伝わせるようになってから。
海士仁に波平への、不満とまではいかない些細な懸念を漏らし始めてから。
海士仁の気持ちを知りながら、杏可也と結ばれてから。
またも責めは私にある。
背後で息を殺す杏可也の気配を痛い程感じながら、深水は海士仁の黒い目を見た。
変わり者ではあったが穏やかで邪気なく物事を面白がる才気煥発な海士仁は、もうそこに伺えない。少なくとも深水に見てとる事は出来ない。
失せる際に生じる空気の流れを使って攻撃を加える事、これは海士仁が誰に教わった訳でもなく身に付けたものだ。
これには巧者としての力と集中力が要る。
失せようとして失せず踏みとどまり、空気の流れを逃がさず散らさず思うように操る。
同じ巧者でも恐らく牡蠣殻には真似できぬ技。彼女の散漫な注意力では御しきれるものではないだろう。波平に伝えようにも気が引ける。海士仁が危険と見なさる可能性がある。
本人の希望もあって、深水は海士仁の技を他に漏らさなかった。
ただ一人、調べ、学んだ。
今思えば、牡蠣殻に、そして波平に知り得た事を伝えておくべきだった。海士仁に歯止めをかける為にも。
タクトを振るような海士仁の手付きで、細く鋭い風が走り出たのを感じた瞬間、深水の手首の下に長く深い傷が走った。
「・・・海士仁」
傷を押さえて真っ直ぐに立ち、深水は正面からかつての愛弟子を見据えた。
「お前、何故あのとき、牡蠣殻を襲った?」
海士仁が訝しげに目を細めた。
「逸脱した真似をする事はあっても、他を傷付けるようなお前ではなかったろう」