第1章 離反ものがたり
「陸遜」
「刹那殿!」
噂をすればなんとやら、君主さまのお出ましだ。
「時間稼いでおきました」
「ご苦労様」
笑顔で駆け寄る忠犬陸遜に労いの言葉を掛けると、君主さまは俺たちに向き直った。
「で?離反した武将サマが何の用?」
ギッと鋭い眼差しで俺たちを睨みつける。
「あ…、いや…、あのですね…」
その迫力に押され、冷や汗をダラダラと流しながら口を開くも、吃った言葉しか出なかった。
「ん?」
「な、なんでしょう…」
君主さまは俺たちを上から下まで、マジマジと眺めた後、また眉を寄せる。
「あんたら怪我してんじゃない」
そうだ。離反した武将がそこから逃げ出すなんて並大抵のことじゃない。
仕向けられた追っ手を撒き、山を越え、川を越え、ここまで戻ってきたのだ。
そのせいか、俺たちは傷だらけだった。
「陸遜、傷薬持ってきて」
「はい?」
声を掛けられた陸遜は、さも不思議そうに首を傾げた。
きっと今から何かしら罰を受ける俺たちに治療をしようとする君主さまの意図を量りきれないのだろう。
「すんっっっごい滲みるやつ」
「はい!」
ちょっとりっくん、"滲みるやつ"で何でそんなに嬉しそうなのよ??
付け足された一言に、陸遜はニコリと笑み、城の中へと駆けていった。
陸遜が城の中へと走ってから、少し時間が過ぎたけれど、目の前の君主さまはしかめっ面のまま、一向に口を開こうとしない。
ただ、今まであまり見なかったしかめっ面から、物凄く機嫌が悪いことだけは判る。
この沈黙が怖いな……。
「なぁ、凌統」
「んだよ」
隣の馬鹿もこの重たい沈黙に耐え兼ねたらしい。コソコソと声を潜めて俺に話し掛けた。
「アイツ、何考えてんだろーな…」
「さぁね…」
君主さまの頭の中は俺じゃ分からない。
彼女の考えは、きっと彼女にしかわからないんだ。
ああ、でも、拗ねたように口を尖らせて、眉を寄せて、俺と目を合わせようとしないその姿は、可愛い。
普段は見せないその表情が、すごく、可愛いと思う。
そんなこと口には出せないけど。
口に出したら最後、拳が飛んでくるだろうな。