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闇の底から

第2章 失われた記憶


「思い出したか?」
背中をさすりながら先生が問いかける。
頭の中がまだ霞んでる。思い出せ、私!
「玲さんごめん、いまだけ東條先生貸して…」
ああ、好きなだけハンカチなりティッシュなりにすればいい、という鷹揚な彼女様に感謝して、汚れない程度に先生に縋った。

2月28日ーその日は朝から父が所属する開発チームの会議が中止になった、と言っていつもとは違って家でゆっくりしていた。昼前になって、今日は出社しなくていい、と父の上司から連絡が入り、変なこともあるんやね、と母は笑っていた。あまりにも久しぶりの家族団欒で、みんな違和感より先に喜びがあった。
双子は仲良くインフルエンザに罹り、弟は期末考査中で早くに帰宅していた。私は後期の勉強を進めるべく近所のスタバに足を向けた。

午後6時
帰宅した私を出迎えたのはあまりにも凄惨に変わり果てた家族だった。
廊下を歩く靴下が嫌な音を立てる。
充満する生臭さに誘発された嘔吐感を必死でやり過ごす。状況を変えてはいけないと思い、一旦家を出て通報した。祖父母が四人とも他界した私に残された親族は遠くに住む人たちだけになってしまった。

犯人の事後処理は極めて迅速だった。警察業界の顔効きだったらしく、あっさりもみ消された。一家虐殺など普通なら一面トップになるような記事も地域面の隅っこに追いやられた。

菩提寺の住職さんに電話して葬儀の手配をする。東北の伯父は雪に阻まれて駆けつけられず、関東の伯父は海外出張中で日本にすらいなかった。

頼れる人がいないなか、何処から嗅ぎつけたのかと戸惑いを通り越して苛立ちを感じる三流週刊誌の記者の訪問や電話による攻撃に疲弊して私は電話のコードを抜いた。
寝ようと思っても寝られない。
みんなの最期をどうしても想像してしまう。
どれほど痛くて苦しくて悔しかっただろか。
何を思いながら旅立っていったのだろうか。私がスタバに行っていなかったらどうなっていたのか。
すでに起こったことにたら、れば、もし、がないのは重々承知であるが、考えずにはいられなかった。


菩提寺の住職さんがありがたいお話をしていってくださった。
学校の友達は心配してメールや電話をたくさんくれた。

そしてそれからの私の記憶はまた霞む。闇の底に還る。
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