第1章 3月9日
「それに、さっきのお返し?」
小首を傾げて、掻き回した私の頭を手櫛で戻しながら言葉を紡ぐ様にまたドキンと心臓が跳ね、顔に熱が集まるのがわかった。バレている。先生は起きていた。じゃなんで寝たフリを?ああ、恥ずかしい!!
そんな私をひとしきり照れさせてから先生は語る。
自分は取り敢えず医学部で勉強しているけれどどの科に進むかは決めていないこと、家族構成など色々と教えてくれた。今は一人暮らしでご飯は大抵外で済ませてしまうこと。サッカー部に入っていること…一つ一つ先生について知っていることが増えるだけなのに私は物凄く満たされていた。寝顔公開の効果が絶大だった、というのも勿論ある。
そんなこんなでほのぼのとしていた毎週だったが気付けば3月でコース振り分けも発表された。
いつも通りチャイムを鳴らす先生をドアの死角で待ち構え、飛びついた。
「先生っ!!ありがとう!!」
それだけで通じたみたいで先生はニヤリと怪しげに笑った。そしてこれまでにずっと隠していた右手をすっと出して、「祝杯上げるか」と私よりも嬉しそうに家の中に入っていった。
月日は流れ、高1も終わる頃、この緩やかで穏やかな時間は突然にして終わる。
大手予備校への通塾を考えだした代償は家庭教師の打ち切りを意味していた。塾なしで現役で合格した先生からは呆れた話だろうけれど私にはその頭はない。
そして高2の4月を境に先生に会うことはなかった。
あの日まで