第29章 鶴
「……志摩子君、まだそこにいたのか」
「山崎さん。山南さんは……」
「大丈夫だ。今はいつも通りのあの人に戻っている。それと……すまなかった、と伝えてくれと言われた。君にだ」
「そうですか……」
ほっとしたのと同時に、僅かに罪悪感が生まれる。変若水は元々蓮水家が研究していたもの、そんなもののせいで……彼らは、と。
「志摩子君は、どうにも難しく物事を考えて、自分の中に押し込む癖があるようだ」
「そんなことはありませんよ」
「君の今までを、俺は知ることは出来ない。だから君が今までの自分をどう振り返り、何を思っているのか。それを想像することは困難だ。だが、一緒に居てわかることもある」
「と、言いますと?」
「君の笑顔の数くらいは、覚えられる」
意外にも、つんっと山崎は志摩子のおでこを突いた。驚いて、きょとんとする志摩子に山崎は言葉を続ける。
「君の笑っている顔、悲しんでいる時の顔、喜んでいる時の顔。怒っている……顔は知らないか。一年以上共に過ごしたんだ、それくらいはわかる。だから今、君が悲しんでいることくらいは、わかるつもりだ」
「それは、困りましたね。隠せないではありませんか」
「隠す必要もない。君はもう少し、考え過ぎない方がいい。そこに答えがないのなら、いずれ見つかるその時まで忘れてしまえばいい。そして時が満ち、己の答えに辿り着いた時。君はその答えを、信じていけばいい」
「……ありがとうございます。何やら、私は皆様に励まれてばかりな気がします。情けないですね、本当に」
「志摩子君が気付いていないだけで、他の皆も君に励まされているさ」
山崎はぽんっと志摩子の肩を叩くと「もう少し肩の力を抜くといい」とだけ告げて、その場を去って行った。志摩子は微笑んで自分の部屋へと戻っていく。
志摩子が自室の襖を開けた途端……――突然影が志摩子を覆い隠し、布で口元を抑えられる。襖は、閉められた。
「初めまして、蓮水志摩子さん。私は南雲薫と申します。やっとお会いできて、嬉しいですよ」
聞いたことのある名。――南雲。その姓に聞き覚えがあった。