第13章 ヒーロー仮免試験
彼女がそう考えていた、そのとき。
「……くだらねえ」
すぐ隣から、低い声がした。
振り向くと、轟が不機嫌そうな顔で立っていた。
「轟くん?」
「何でもねえ」
「……何でもない顔には見えないけれど」
「何でもねえって言ってるだろ」
彼女は目を瞬かせた。
いつも落ち着いている轟が、今日は妙に刺々しい。
先ほど夜嵐が結婚を申し込んだときも、彼は一言も発しなかった。けれど、その間ずっと、夜嵐を鋭い目で見ていた気がする。
「もしかして、夜嵐くんのことが気になるの?」
「別に」
「実力は轟くんと同じくらいだって、相澤先生が言っていたものね」
「……そういう話じゃねえ」
「じゃあ、どういう話?」
「…………」
轟は答えなかった。
自分でも、うまく説明できなかったからだ。
ただ、あの男が彼女を見つめた瞬間。
嬉しそうに駆け寄り、迷いなく結婚を申し込んだ瞬間。
胸の奥が、ひどくざわついた。
彼女が誰かに好意を向けられること自体は、不思議ではない。
彼女は綺麗だし、聡明だし、誰に対しても余裕がある。人を惹きつける魅力を持っていることくらい、轟だって分かっていた。
それなのに、あの男が彼女の隣に立つ姿を想像しただけで、なぜか面白くなかった。
つい先ほどまで、彼女は自分の肩に寄りかかって眠っていた。
寝ぼけた顔で名前を呼び、起きてからは恥ずかしそうに笑った。
あの無防備な寝顔を、自分は知っている。
自分の左側の温もりを、彼女が心地よさそうに感じていることも。
そんな些細なことを、どうして今、思い出しているのだろう。
轟は無意識に拳を握った。
――何だ、これ。
胸の奥に生まれた感情には、まだ名前がなかった。
けれど、それが心地よいものではないことだけは、はっきりしていた。
「……轟くん?」
彼女が顔を覗き込む。
青い瞳が、すぐ近くにあった。
「本当に大丈夫?」
「……ああ」
轟は一瞬、言葉に詰まった。
彼女が自分を心配している。
それだけのことなのに、先ほどまでの苛立ちが不思議なことに和らいでしまう。