第10章 神野区の悪夢編
風が吹き抜け、彼女の髪を揺らす。
ホークスは、逃げるような笑みを浮かべることもなく、まっすぐに彼女を見つめていた。
「君が思ってるより、ずっと前から」
冗談でも、からかいでもない。
任務のためでも、彼女の反応を確かめるためでもない。
彼が初めて、面と向かって口にした本心だった。
「俺のところに来い」
その言葉は、命令にも似た響きを持っていた。
けれど、彼の瞳に浮かんでいたのは、いつもの余裕などではなかった。
焦りと、独占欲と、長い間押し殺してきた想い。
そして、彼女を誰にも渡したくないという、あまりにも身勝手な願い。
「君がどこにいたって、誰といたって、今までは何も言わなかった。
君には君の事情があるし、俺だって立場がある。
そんなこと、分かってたから」
ホークスは小さく息を吐いた。
「でも、もう嫌なんだよね」
彼女は黙っていた。
「君が誰かのために無茶をするのも、
傷ついてるのに平気な顔をするのも。
……それに、君があの子たちと離れたくないって顔をするのを見てるのも」
最後の言葉には、隠しきれない苦みが滲んでいた。
「もう見ているだけは嫌なんだ。
俺じゃ、駄目?」
問いかける声は、驚くほど静かだった。
彼女の指先から、灰がひとひら落ちる。
いつもなら、どんな相手の感情も冷静に分析できる。声の調子、視線の動き、呼吸の変化。そうしたわずかな情報から、相手の意図を読み取ることなど造作もない。
けれど、今だけは。
目の前の男が何を考え、何を求めているのか。
それを理解することが、ひどく面倒だった。
「……あなた、馬鹿なの?」
ようやく口を開いた彼女の声は、思ったよりも弱かった。
ホークスは苦笑した。
「うん。自分でもそう思う」
「私は、あなたの期待するような女じゃないわ」
「知ってるよ」
「私は自分のことで精一杯なの。誰かと一緒にいることを考える余裕なんてない」
「それも知ってる」
「だったら――」
「それでも、好きなんだよ」
遮られた言葉に、彼女は口を閉ざした。
ホークスは、もう笑っていなかった。