第10章 神野区の悪夢編
「……っ」
彼女は、ぼんやりとその動きを見つめていた。
逃げなければ。
抵抗しなければ。
頭のどこかでは理解している。
だが、身体が動かない。
腕を上げることも、首を振ることも、声を張り上げることもできなかった。
目の前で、オールフォーワンの右手が近づいてくる。
その手が触れれば、自分の個性が奪われる。
それだけは分かった。
自分がどれほどの時間をかけて向き合ってきた力なのか。まだ理解できていないことがどれほど残されているのか。
そのすべてを、この男に奪われる。
「……や……」
声にならない声が、唇からこぼれた。
オール・フォー・ワンは、その反応を見逃さなかった。
「怖いかい?」
優しい言葉をかけるような声だった。
「大丈夫。すぐに終わるよ」
彼女の頸に、男の手が触れる。
冷たい感触に、彼女の肩がかすかに震えた。
「やめろおおおっ!」
オールマイトが叫ぶ。
ヒーローたちが一斉に動こうとする。
しかし、ヴィラン連合がその前に立ちはだかった。荼毘が炎を揺らし、死柄木が不気味な笑みを浮かべる。わずかでも距離を詰めれば、彼女を巻き込む危険があった。
「動くなよ、ヒーロー」
オール・フォー・ワンの声が、静かに響く。
「この子を傷つけたくはないだろう?」
その一言で、ヒーローたちの動きが止まった。
オールマイトは、歯を食いしばった。
助けたい。
今すぐ、彼女を取り戻したい。
それなのに、目の前の男は、彼女の存在そのものを盾にしている。
腕の中の彼女は、まだぼんやりと右手を見つめていた。
視界が霞む。
意識が遠のきそうになる。
それでも、彼女は必死に目を開けていた。