第10章 神野区の悪夢編
意識が、ゆっくりと浮上していく。
最初に感じたのは、頭の奥に残る鈍い痛みだった。
次いで、鼻をつくかび臭さ。湿った壁と古びた木材の匂いが混じり合い、息を吸うたびに不快感が込み上げてくる。
「……ん……」
おもちは、重たい瞼を持ち上げた。
視界に映ったのは、薄暗い天井だった。窓は見当たらず、壁に設けられた小さな照明だけが、部屋の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせている。
知らない場所。
見覚えのないベッド。
そして、聞こえてくるのは、どこか遠くから響く微かな物音だけ。
「……ここは……」
身体を起こそうとした瞬間、全身に鈍い痛みが走った。
思わず眉を寄せる。しかし、致命的な怪我を負っているような感覚はない。腕を動かし、足を曲げ、ゆっくりと身体の状態を確かめる。
そこで、ふと違和感を覚えた。
肌が、妙にさっぱりしている。
森の中を走り回り、土埃にまみれた制服で魔獣と戦ったはずだ。擦り傷もあった。服だって、決して清潔とは言えない状態だった。
それなのに、今の自分はどうだろう。
髪は丁寧に整えられ、肌の汚れも落とされている。腕には手当てを受けた痕跡があり、小さな傷にはきちんと処置が施されていた。
誰かが、自分の身体を清潔にし、手当てをしたのだ。
「……っ」
一気に意識が覚醒する。
ここはどこなのか。
誰が自分を運んだのか。
そして、何のために。
彼女はベッドから降りようとし、そこで初めて、自分が身に着けているものに気づいた。
純白の布地。
滑らかな光沢を帯びた、上質な生地。
視線を落とした彼女は、数秒間、呼吸すら忘れた。
「…………は?」
声が、掠れた。
身にまとっていたのは、紛れもないウエディングドレスだった。
純白のドレスは、彼女の身体のラインに沿うように仕立てられていた。上半身から腰にかけて滑らかに身体を包み込み、膝下へ向かって優雅に広がっていくマーメードライン。細部には繊細な刺繍が施され、装飾も過剰ではない。
美しい。
そう形容するほかないほど、完成されたドレスだった。
けれど、彼女にとっては、その美しさなど何の意味もなかった。