第9章 林間合宿
「……今の、何?」
芦戸が呆然と呟いた。
「魔獣が……自分からおもちさんを放した?」
八百万も、信じられないという表情で土魔獣を見つめる。
「いや、でも……あれはピクシーボブの個性で作られた土の魔獣だろ?意思なんてないはずだ……」
緑谷はぶつぶつと呟きながら、必死に状況を整理しようとしていた。
轟もまた、彼女と土魔獣を交互に見ている。
そして、彼女を抱き留めた爆豪は、腕の中の彼女から目を離さなかった。
「おい。どこか痛ぇところはねぇか」
いつもより低い声だった。
「……大丈夫。ありがとう、爆豪くん」
彼女はそう答えたものの、視線は土魔獣に向いたままだった。
おかしい。
何かが、おかしい。
個性は使っていない。
使おうとしても、何も起こらなかった。それは間違いない。
それなのに、あの魔獣は自分を放した。
しかも、ただ手を緩めたのではない。まるで、自分を恐れたかのような反応を見せたのだ。
そんなことが、あり得るのだろうか?
彼女はゆっくりと自分の手を見下ろした。
何も変わっていない。
「……私、何もしていないのに」
思わず零れた言葉に、爆豪の眉がぴくりと動いた。
「は? 何もしてねぇだと?」
「ええ。個性は使っていないわ。本当に、何も……」
言いながら、彼女自身も戸惑っていた。
あの瞬間、自分は確かに魔獣をにらみつけただけだった。
それだけで、あんなことが起こるはずがない。
けれど、目の前で起きた現象は、紛れもない事実だった。
彼女の知らない何かが、自分の中にある。
あるいは――自分の個性は、彼女が理解しているものとは違う何かなのだろうか。
答えは出ない。
ただひとつ確かなのは、個性を失ったはずの彼女が、個性を使ったとしか思えない現象を引き起こしたということだった。
「……おもち」
爆豪の声に、彼女は顔を上げる。
彼は彼女を支える腕に、わずかに力を込めた。
「今は余計なこと考えんな。立てるか」
「……ええ」
まだ、心臓が激しく脈打っている。
爆豪の手を借りて立ち上がると、彼女はもう一度、土魔獣のほうを振り返った。
――あなたは、いったい何を恐れたの?
問いかけても、答えは返ってこない。
森の奥からは、依然として魔獣の咆哮が響いていた。