第9章 林間合宿
「はいっ!次、おもちの番ね!」
芦戸が満面の笑みで振り返る
「……え?」
突然のことに、おもちは目を瞬かせる。
そういえば、先ほどから続いていたカラオケ大会。上鳴や芦戸を中心に順番が決められ、いつの間にか自分の番が回ってきたらしい。
隣を見ると、轟は我関せずといった様子で窓の外を眺めていた。
「俺は歌とかあんま分かんねぇから、頼んだ」
「……え?」
あまりにも自然に託されてしまった。しかも、マイクだけではない。選曲用のリモコンまで、しっかりと彼女の手の中に収まっている。
「ちょ、ちょっと待って。私が歌うの?」
「おう!聞かせてくれよ!」
上鳴が身を乗り出す。
「そうそう!われらがA組の謎の美女の歌声、聞きたい!」
「美人は歌も絶対うまいって決まってんだから!」
クラスメイトたちは、すっかり盛り上がっていた。
普段、何を考えているのか分からない彼女が、いったいどんな歌声を聞かせてくれるのか。
その好奇心を隠そうともしない。
(……これは、断りづらい)
おもちは手元のリモコンを見下ろした。
せっかくの林間合宿。みんなが楽しみにしている空気に水を差すのも気が引ける。
それに、歌うこと自体が嫌いなわけではなかった。
ただ、人前で歌う機会など、ずいぶん久しぶりだった。
彼女は選曲画面を眺め、しばらく考えた後、一つの曲を選んだ。
画面に表示されたタイトルを見て、車内がざわつく。
「……えっ?」
「ちょっと待って、これって……!」
「誰が歌うの!?」
前方の席にいた青山が、驚いたように振り返った。蛙吹も不思議そうに首を傾げ、飯田は眼鏡の位置を直しながら画面を確認する。麗日も目を丸くして、後ろを振り向いた。
画面に表示されていたのは、『ボーイフレンド』だった。
「えっ、おもちちゃんが歌うの!?」
「意外!でも、なんか分かるかも!」
芦戸が目を輝かせる。
「……ふふっ」
彼女は少し照れくさそうに笑った。
「昔、母とよく聴いていた曲なの」
それ以上は説明しなかった。
生前の母親と、よく一緒に聴いていた曲だった。
何気ない日常の中で、母親が口ずさみ、彼女もそれに合わせて歌った。特別な思い出というより、当たり前のようにそばにあった音楽。