第8章 夏休み
「……どういう意味ですか?」
「可能性の話だよ。君のお父さんが、何らかの理由で個性の本質を伏せ、実際とは異なる内容で申請していた可能性がある」
診察室が静まり返った。
父が、自分の個性について、虚偽の申請をしていたかもしれない。
「……父が、そんなことを?」
思わず漏れた声には、驚きと戸惑いが混じっていた。
医師はすぐに首を横に振った。
「まだ何も分かっていない。記録だけで決めつけるつもりはないよ。お父さんが何を考えていたのかも、今の段階では分からない」
彼女は黙っていた。
父は医師として、個性がどれほど危険なものになり得るのかも、社会が強力な個性を持つ人間をどう扱うのかも、理解していたはずだ。
もし、本当に何かを隠していたのなら。
それは彼女を守るためだったのだろうか。
それとも、彼女自身にも知らせられない事情があったのだろうか。
答えは出なかった。
「……先生は、父が嘘をついていたと思いますか?」
医師は少し考えてから答えた。
「私は、お父さんが君を大切に思っていたことを知っている。だからこそ、何かを隠していたのだとしても、理由を確かめる前に善悪を決めるべきではないと思う」
その言葉に、彼女は静かに顔を上げた。
「今、必要なのは、お父さんを疑うことではない。君自身の身体と個性について、分かっていない部分を明らかにすることだ」
「……そうですね」
彼女はゆっくりと息を吐いた。
この医師とは長い付き合いだ。
幼い頃から、幾度となく診察を受けてきた。父を失った後も、彼は必要以上に踏み込むことなく、それでも彼女が助けを求めた時には必ず向き合ってくれた。
信頼は十分にあった。
だからこそ、彼の提案を単なる検査の勧めとして聞き流すことはできなかった。
そして、彼女にはもう一つ、気にかかっていることがあった。
あの夢、
水面に浮かぶ赤い鳥居。
現実とは思えないほど鮮明な景色。
そして、こちらを見つめる黄金の龍。
個性が使えなくなったことと、あの夢に関係があるのかは分からない。
ただ、無関係だと切り捨てるには、あまりにも心に残っていた。