第6章 保須市襲撃事件
暗号化された指令に記されたターゲットの所在地を確認した彼女は、ほんの一瞬、指を止めた。
「……保須市?」
意外な地名だった。
そこは、クラスメイトの飯田天哉が職業体験先として選んだ街だった。
公安の任務と雄英の生徒としての生活。その二つを混同しないよう、普段から意識して距離を置いている。
それでも、偶然にしては妙な一致だった。
「……考えても仕方ないか」
小さく呟き、端末をしまう。
任務の遂行に、個人的な感情は必要ない。
そう自分に言い聞かせ、彼女は建物の屋上へと足を向けた。
重い扉を開けると、夜の冷たい風が飛び込んでくる。
眼下には、街灯やビルの明かりが広がっている。車のヘッドライトが道路を流れ、人々の営みを乗せた街は、何事もないかのように夜を過ごしていた。
彼女は風に揺れる髪を押さえ、遠くの景色へ視線を向けた。
飯田も、これから向かう街にいる。
それがどういう因果なのかは分からない。任務と彼の職業体験が交差する可能性だって、現時点では判断できなかった。
ただ、胸の奥に小さな引っかかりが残っている。
――嫌な予感がする。
これまで、幾度となく危険な現場を経験してきた。直感だけで行動を決めることはない。けれど、長い経験のなかで身についた感覚が、時折、理屈よりも先に警鐘を鳴らすことがある。
今が、そのときだった。
「……任務は任務」
彼女は静かに目を閉じた。
余計なことは考えない。
ターゲットの確認。任務の遂行。帰還。
それだけだ。
次の瞬間、彼女を取り巻く空気が変化した。
足元から風が巻き上がり、黒い衣服の裾を揺らす。目には見えない力が彼女の身体を包み込み、地面からふわりと浮かび上がらせた。
風を操り、自らの身体を宙へと運ぶ。
彼女は上昇する速度を調整しながら、屋上の縁を越えた。
眼下の街並みが、ゆっくりと遠ざかっていく。
風の流れを読み、進行方向を定める。ビルの間を抜ける夜風が髪を揺らし、頬を冷たく撫でた。
やがて彼女の身体は、夜空を滑るように移動し始める。
目的地は、保須市の一角。
彼女は表情を消し、前方を見据えた。
「……行こう」
風が、彼女を夜の街の奥へと運んでいった。